トーマス・マンの最初の短編作品「幻想」における身体表象

発表者
木戸繭子
日時:
2023年12月10日
場所:
早稲田大学

発表要旨:

本発表では、トーマス・マン(1875-1955)の最初の短編散文作品「幻想」(Vision)における身体表象を検討し、その創作活動の最初期から、「危機にさらされる身体」がマンの文学的創作における問題意識の中心に存在していたことを示す。
このごく短い作品は1893年に学生雑誌『春の嵐』に掲載された。この雑誌は、18歳のマン自身が編集し、またそこにおいて作品を発表して作家としてのキャリアを開始したものであるが、そのうちの一つのテクストがこの「幻想」であった。この作品においては語り手の「私」があるエロティックな幻想を経験する。この作品はこれまで十分な研究がなされてきたとは言えないものの、モチーフの点においてはE.T.Aホフマンやテオドール・シュトルムなどの影響、その後のマンの作品におけるモチーフとの関連、そして、ユーゲント・シュティルや、ヴィーナー・モデルネとの関連で論じられてきた。たしかにこの短編作品は、その献辞が明らかにしているように、神経ないし感覚に重点が置かれる点においては、自然主義を「神経的ロマン主義」あるいは「神経の神秘主義」によって克服するという論を展開するヘルマン・バールの影響が大きい。しかしながらこのマンのテクストにおいては、それに加えて身体が危機にさらされる局面が特徴的に見出される。エロティシズムによって神経が解き放たれながらも、それは語り手を解放するものではなく、欲望の主体たる語り手の身体に苦痛を与えるものであり、一方で欲望の客体もまた苦痛を与えられ、そして、その身体は断片として提示される。この、エロティックなものによって惹起される身体の危機こそがこの作品の中心的なテーマなのである。