第16回日本独文学会関東支部研究発表会のご案内


下記の日程で第16回日本独文学会関東支部研究発表会を開催いたします。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。

日時:2025年12月20日(土)14:00~(開場13:30)
場所:東京大学本郷キャンパス 国際学術総合研究棟内 文学部3番大教室
参加費:関東支部会員は無料、非会員は500円

プログラムと発表要旨のダウンロード:第16回日本独文学会関東支部研究発表会

 

プログラム

14:00 開会の挨拶

14:10〜14:45 梅川 晏輝
「古高ドイツ語」を形作る歯音の変化について ―„Evangelienbuch“の脚韻を手掛かりに

14:50〜15:25 山下 拓郎
シュトルムの文学における自然科学・技術観 ―19世紀ドイツの技術に対する懐疑からの考察―

15:25〜15:40 休憩 

15:40〜16:15 中村 祐子
 「権力、権力の作用、そして権力によって抑圧された人間の行動の研究」
  ―クリスタ・ヴォルフ『メデイア―さまざまな声』におけるアガメダの選択

16:20 閉会の挨拶

 

(ご連絡)
当日、新規入会申し込みおよび会費(年会費500円)の納入ができます。

<日本独文学会関東支部> 
(支部長) 山本 潤        (支部選出理事)桂 元嗣
(庶務幹事)田中 雅敏 若林 恵  (会計幹事)時田 伊津子
(広報幹事)杉山 有紀子

 

会場のご案内
東京大学本郷キャンパス 国際学術総合研究棟内 文学部3番大教室

交通アクセス
本郷三丁目駅(地下鉄丸の内線)より徒歩8分
本郷三丁目駅(地下鉄大江戸線)より徒歩6分
湯島駅又は根津駅(地下鉄千代田線)より徒歩8分
東大前駅(地下鉄南北線)より徒歩1分


住所
〒113-8654 東京都文京区本郷7-3-1

東京大学交通案内URL
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/campus-guide/map01_02.html

 

発表要旨

発表1(言語学)梅川 晏輝
「古高ドイツ語」を形作る歯音の変化について ――„Evangelienbuch“の脚韻を手掛かりに

 本研究は、ゲルマン祖語から古高ドイツ語の変種に至るまでに起こった歯音系列の変化について、有声閉鎖音の無声化(d > t)と、無声摩擦音の有声化及び閉鎖音化(þ > d)という二つの変化の前後関係、延いては因果関係を明かすことを目的とする。
 この問題については研究者の間でも意見の一致が得られておらず、例えばBraune(1926), Moulton(1987)らは þ > d を、Goblirsch(2003)は d > t を先立った変化として想定している。これらの先行研究では複数文書の間で文字表記を比較するという手法を取っている。
 これに対し本研究では、脚韻を成す音節内部の子音同士を比較するというアプローチを行い、単一文書内における各文字と指示音声との対応関係を考察した。これは文字同士の関係しか利用できないという先行研究の問題を克服し、文字が指示する音声同士の関係を手掛かりにすることを可能とするものである。
 歯音の変化時期における唯一の大規模な脚韻詩がOtfridの„Evangelienbuch“である。その脚韻部を調査したところ「d と t との弁別では有声性以外の要素も関わっている」という説を支持する結果が得られた。他の種々の仮定を合わせると d は摩擦性を伴っていたのではないかと推定できる。
 一方、d > t については、同文献では変化が完了していると見られることから、本研究は「(少なくともOtfridにおいては)d > t が先行したことにより、空いた d を埋めるようにして þ の有声化が続いた」という説を主張する。

 

発表2(文学)山下 拓郎
シュトルムの文学における自然科学・技術観 ――19世紀ドイツの技術に対する懐疑からの考察

 本研究では19世紀後半のドイツ文学、とりわけテオドール・シュトルムの文学が内包する技術に対する思想が、現代の技術論に接近する可能性を示すことが目的である。19世紀後半のドイツ語圏の文学では、シュティフターのEin Gang durch die Katakombenなど、当時の革新的な自然科学(以下「科学」)や、それによって向上した技術の問題点と、そういった「科学」・技術を地盤とした社会の行く末を案じたエッセイがある。また文学作品では、ケラーのSinngedichtや、シュトルムのDer Schimmelreiterなど、「科学」や技術に傾倒した人物が登場する作品が見られるが、その多くでは、「科学」の不十分さが指摘されることや、「科学」や技術を重視する登場人物の悲劇的な結末が描かれている。このように当時の文学では、「科学」や技術が、批判的、あるいは「悲観的」に描かれていることが観取される。
 「悲観的」な描写について、19世紀後期のドイツ文学を俯瞰すると、〈理想〉から乖離した現実が「悲観的」に描かれていることが特徴であると分かる。このような「悲観的な態度」と、「三月革命」という政治的な〈理想〉の追求における失敗との関連は、磯崎(2020)をはじめ、論じられるところであるが、「科学」や技術に対する「悲観的」な描写には注目されてこなかったように思える。そこで本研究では、技術とそれがもたらす不幸を文学に描いたシュトルムを起点とし、当時の文学者達が、技術や「科学」の発展について、何を〈理想〉と定め、そういった〈理想〉と現実の間に、どのような乖離を見出したのかを、彼らの文学を読解しつつ考察し、彼らの問題意識が現代の技術論と結索されうる点を探る。

 

発表3(文学)中村 祐子
「権力、権力の作用、そして権力によって抑圧された人間の行動の研究」
――クリスタ・ヴォルフ『メデイア―さまざまな声』におけるアガメダの選択

 本発表は、クリスタ・ヴォルフの『メデイア―さまざまな声』(1996)に登場するアガメダに焦点を当て、なぜ彼女が「師」であるメデイアを陥れる選択をしたのかを、1990年代前半のドイツの状況を踏まえて考察する。
 この小説は、『カッサンドラ』(1983)に続く2つめのギリシア神話・悲劇を素材とした作品であり、どちらも支配的イデオロギーに抗する女性キャラクターの再解釈であるが、ドイツ統一を挟み、政治的・社会的背景が大きく異なる。これまで、メデイア像の系譜への位置づけとポストコロニアリズム(Hilzinger;Pizer)、『残るものは何か』(1990)出版後のヴォルフへのバッシングと「スケイプ・ゴート」のモチーフ(保坂)、複数の登場人物による内的独白の語り(Opitz-Wiemers)、といった3つの観点から主に論じられてきた。アガメダの行動はイアソンへの失恋とメデイアへの嫉妬に起因し、メデイアを理解するための1つのファクターとみなされてきた。しかし、マーガレット・アトウッドが英語版に寄せた序文に着目すると、この小説は「権力の作用についての研究」であり、アガメダは、権力中枢にすり寄るための「マキアベリアン・ダンス」に自ら加わったと言える。
 アガメダは、故国で学び「治療師/医師Heilerin」という専門職に就いたという自負を語る。ヴォルフは、「難民」と「女性」という二重に抑圧された存在であるアガメダに「声」を与えた。このアガメダの人生の選択を分析することで、彼女の姿にドイツ統一後の東ドイツ女性たちが新たに直面した「生きづらさ」が表現されていることを明らかにする。