日本独文学会関東支部総会(オンライン)のお知らせ

日本独文学会関東支部会員各位

日頃より関東支部の活動にご協力を賜り、誠にありがとうございます。
関東支部では来る6月16日(日)にオンライン総会を行います。詳細は次の通りです。

 日時:6月16日(日)14:00〜14:30
Zoom URL: https://list-waseda-jp.zoom.us/j/92809809289?pwd=Sk9YbldGZlF4d084N3lWRFFvVTd0QT09
ミーティングID: 928 0980 9289
パスコード: 343565

【プログラム】
1.報告事項:2023年度活動報告
・2023年度会計報告

2.審議事項:2024年度活動方針
・2024年度予算案
・2024年度研究発表会
・その他

 【ご参加にあたっての留意事項】
・Zoomの登録名は実名表示にした上でご参加ください。
・カメラをオンにする必要はありません。
・マイクは発言を行う時を除いてミュートにしていてください。
・上記のURLを会員以外の方に教えることはお控えください。
・ご不明な点はeingang@jgg-kantou.org までお寄せください。

 【会費納入のお願い】
6月8日と9日に日本独文学会春季研究発表会が慶應義塾大学日吉キャンパスにて行われます。研究会会場の関東支部Infotischで受け付けますので、新年度の支部会費の納入をどうぞよろしくお願い申し上げます。

また振込での納入をご希望の方は、 http://jgg-kantou.org/mitgliedsbeitrag をご参照ください。(研究発表が行われている時間には関東支部Infotischを閉める場合もありますので、ご了承願います。)

以上よろしくお願いいたします。

日本独文学会関東支部 幹事一同

第14回日本独文学会関東支部研究発表会のご案内

下記の日程で第14回日本独文学会関東支部研究発表会を開催いたします。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。

日時:2023年12月10日(日)15:00~17:15
場所:早稲田大学早稲田キャンパス 7号館2階 7-205教室
参加費:関東支部会員は無料、非会員は500円

プログラムと発表要旨のダウンロード:第14回日本独文学会関東支部研究発表会

 

プログラム

15:00〜15:05 開会の挨拶
15:10〜15:45 木戸繭子
トーマス・マンの最初の短編作品「幻想」における身体表象
15:55〜16:30 内田賢太郎
ベルリンのユンガー 大都市体験と立体鏡的知覚をめぐって
16:30~16:40 休憩
16:40〜17:15 鈴木佑紀乃
アルフレート・デーブリーン『ベルリン・ アレクサンダー広場』における発話行為について
17:15 閉会の挨拶

(ご連絡)
当日、新規入会申し込みおよび会費(年会費500円)の納入ができます。

<日本独文学会関東支部> (支部長) 若林 恵(支部選出理事)浅井 英樹
(庶務幹事)江口 大輔 前田 佳一(会計幹事)時田 伊津子
(広報幹事)杉山 有紀子

 

会場のご案内
早稲田大学早稲田キャンパス 7号館2階 7-205教室

交通アクセス
JR 山手線 高田馬場駅から徒歩20分
西武鉄道 西武新宿線 高田馬場駅から徒歩20分
東京メトロ 東西線 早稲田駅から徒歩5分
東京メトロ副都心線 西早稲田駅から徒歩17分

住所
〒169-8050 新宿区西早稲田1-6-1

早稲田大学交通案内URL
https://www.waseda.jp/top/access/waseda-campus

 

発表要旨

発表1(文学)木戸繭子
トーマス・マンの最初の短編作品「幻想」における身体表象

本発表では、トーマス・マン(1875-1955)の最初の短編散文作品「幻想」(Vision)における身体表象を検討し、その創作活動の最初期から、「危機にさらされる身体」がマンの文学的創作における問題意識の中心に存在していたことを示す。
このごく短い作品は1893年に学生雑誌『春の嵐』に掲載された。この雑誌は、18歳のマン自身が編集し、またそこにおいて作品を発表して作家としてのキャリアを開始したものであるが、そのうちの一つのテクストがこの「幻想」であった。この作品においては語り手の「私」があるエロティックな幻想を経験する。この作品はこれまで十分な研究がなされてきたとは言えないものの、モチーフの点においてはE.T.Aホフマンやテオドール・シュトルムなどの影響、その後のマンの作品におけるモチーフとの関連、そして、ユーゲント・シュティルや、ヴィーナー・モデルネとの関連で論じられてきた。たしかにこの短編作品は、その献辞が明らかにしているように、神経ないし感覚に重点が置かれる点においては、自然主義を「神経的ロマン主義」あるいは「神経の神秘主義」によって克服するという論を展開するヘルマン・バールの影響が大きい。しかしながらこのマンのテクストにおいては、それに加えて身体が危機にさらされる局面が特徴的に見出される。エロティシズムによって神経が解き放たれながらも、それは語り手を解放するものではなく、欲望の主体たる語り手の身体に苦痛を与えるものであり、一方で欲望の客体もまた苦痛を与えられ、そして、その身体は断片として提示される。この、エロティックなものによって惹起される身体の危機こそがこの作品の中心的なテーマなのである。

発表2(文学)内田賢太郎
ベルリンのユンガー 大都市体験と立体鏡的知覚をめぐって

本発表ではエルンスト・ユンガーの大都市体験が、彼の独自の知覚論、立体鏡的知覚へ与えた影響を扱う。ユンガーは1927年にライプツィヒからベルリンへ生活の拠点を移す。大都市体験はこの頃の思索日記風のエッセー『冒険心 第一稿』に散発的に描かれているが、そこに共通して表れているのは、技術への恐怖と魅惑の入り混じった関心である。
ジェフリー・ハーフはこのアンビバレントな姿勢を、都市と戦争を同一視し、都市を賛美しつつ恐怖に浸り、価値も美も見出すゆえであり、反動的モダニズムの典型例と指摘する。
対してトーマス・キーリンガーは、ユンガーにおいて魅惑と恐怖が重なる点を分析しつつ、20年代のユンガーが取り組んでいた夢というモティーフと都市論の関連性から、戦争で体験した生の知覚が彼の都市論には変わらずに見られることを論じる。ノルベルト・シュタゥプはこの夢モティーフとの連関を更に掘り下げ、そこにカタストロフへの不安を指摘した上で、都市には麻痺の作用があること、ユンガーの知覚はその麻痺からの脱却を可能にしうることを論じている。
本発表はこの後者2人の論を引き継ぎ、まだ十分に論じられてきたとは言いがたいユンガーにおける都市空間の意味を、知覚論の観点から見ることを目的とする。ユンガーの都市論の分析を通じて、ユンガーが都市をカタストロフが常態化した悪夢的空間と捉えていること、都市の麻痺の作用からの脱却ではなくむしろ能動的な没入を目指し、それによって注意力の散漫と集中の二重の知覚を求めること、この知覚によって都市は生のアレゴリー的空間として表れることを論じてゆく。

発表3(文学)鈴木佑紀乃
アルフレート・デーブリーン『ベルリン・アレクサンダー広場』における発話行為について

デーブリーンの長編『ベルリン・アレクサンダー広場』は、1920年代のベルリンで暮らす主人公、ビーバーコプフの受難を描いた物語である。彼は刑務所から出所するとひとかどの人物として生きようとするも失敗し、都市群衆の中に埋没する。このような挑戦と挫折は彼の行う発話にも反映されている。彼は物語冒頭で、あるユダヤ人から、弁舌の巧みさで財を成したツァノーヴィッヒという人物とその息子についての物語を教えられる。このことがきっかけで彼は弁舌の巧みな人物に憧れ、自身もそうなろうと試みるが上手くいかない。ビーバーコプフは様々な不運に見舞われると絶望して、意識を失い生死の境をさまよう。そこで彼は冥界の死神に出会い、それまでの生き方を反省する。その後回復すると、彼は再びベルリンへ戻ってくるが、群衆に溶け込み、発話に消極的になっている。こうしたビーバーコプフによる発話の傾向と変化、そしてその意味づけは、先行研究ではほとんど注目されておらず、本作での言葉を用いた伝達行為に関する研究の多くは、モンタージュという物語の語りに関する技法に焦点を当てられている。
本発表は、作品の主人公ビーバーコプフによる発話行為の変容を、作品全体の構成の中で検討することを目的としている。彼の発話にみられる傾向や、物語冒頭でツァノーヴィッヒの物語が彼に与えた影響などについて論じ、彼の発話行為には大都市における構築(Aufbau)と崩壊(Zerfall)の対立が背景にあると考えられることを示す。

第14回日本独文学会関東支部研究発表会の発表申し込み期間延長のお知らせ

第14回日本独文学会関東支部研究発表会(12月10日(日)早稲田大学にて開催予定)の研究発表申し込みの締め切りを過ぎましたが、まだ発表者の枠に若干の余裕がありますので、申し込み期間を延長します。新たな締め切りは10月21日(土)です。
どうぞ奮ってご応募くださいますよう、よろしくお願いいたします。
発表申し込みの詳細についてはこちらをご参照ください。

第14回日本独文学会関東支部研究発表会の開催と発表者募集のお知らせ(12月10日開催)

下記の日程で第14回日本独文学会関東支部研究発表会を開催いたします。

発表ご希望の方は、奮ってご応募くださいますようどうぞよろしくお願い申し上げます

まだ関東支部に加入していない研究者・院生の方々にもお知らせいただけると大変ありがたく存じます。

1.日時:2023年12月10日(日)13:00から(開始時間は変更の可能性あり)

2.会場:早稲田大学早稲田キャンパス 7号館2階 7-205教室
交通アクセス:https://www.waseda.jp/top/access/waseda-campus

3.発表内容・形式

・ドイツ文学・文化・語学・教育・社会に関する研究

・発表時間25分 + 質疑10分(日本独文学会の口頭発表に準じる)

4.応募要領

以下の内容を記し、日本独文学会関東支部:eingang@jgg-kantou.org(@を小文字にしてください)まで、メールにてお申し込みください。

(1)氏名

(2)連絡先(メールアドレス、電話番号)

(3)所属

(4)研究発表表題

(5)発表内容要旨(600字程度) 下記の内容を踏まえて作成してください。

・研究の目的

・先行研究との関連

・主張したいテーゼ

5.発表後、発表要旨は日本独文学会関東支部ホームページ上に公開いたします。

6.締め切り:9月30日(土)

7.結果連絡:10月中旬ごろまでに結果および発表要領の詳細についてお知らせする予定です。

2023年6月22日

<日本独文学会関東支部> (支部長) 若林 恵(支部選出理事)浅井 英樹

(庶務幹事)江口 大輔 前田 佳一(会計幹事)時田 伊津子 (広報幹事)杉山 有紀子

第13回日本独文学会関東支部研究発表会のご案内

下記の日程で第13回日本独文学会関東支部研究発表会を開催いたします。

皆様のご参加を心よりお待ちしております。

日時:2022年12月11日(日)13:00-18:00

開催方法:Zoomによるリアルタイム配信

参加方法関東支部会員の方には会員向けのメーリングリストにて発表会前日までにZoomのミーティングURLを通知いたします。会員でない方は下記リンクのフォームよりお申し込みください。

https://forms.gle/1PsaQi5rHcQfCKZs7

<日本独文学会関東支部>

(支部長) 境 一三(支部選出理事)浅井 英樹

(庶務幹事)江口 大輔 山本 潤

(広報幹事)日名 淳裕(会計幹事)桂 元嗣

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プログラム

12:55 Zoomミーティング開場

13:00 幹事・支部長挨拶

<研究発表の部>

13:10〜13:45  林 明子(中央大学):専門分野における「読みのストラテジー」習得に向けて ― テクスト言語学を援用した試み

13:50〜14:25  山中 慎太郎(東京大学):テクストの<接ぎ木>モデルについて ―『親和力』を植物的に読む

14:30〜15:05  幅野 民生(上智大学): フリードリヒ・シュレーゲル『ギリシア文学の研究について』における初期ロマン派的批評の萌芽

15:05〜15:20  休憩

15:20〜15:55    小池 駿(中央大学):更新されるべき過去 ― フリードリヒ・トーアベルク『ゴーレムの再来』における伝説性、神話性、歴史性の観点からの一考察

16:00~16:35  中村 祐子(東京大学):クリスタ・ヴォルフと「病」―『クリスタ・Tの追想』における混沌と探求の語り

<報告の部>

16:40~17:15  宮崎 裕子(立教大学):IDT Wien 2022 参加報告

17:20 閉会

17:20~18:00 オンライン懇談会

*ご不明な点はeingang@jgg-kantou.org までお寄せください

発表要旨

発表1(語学)林 明子

専門分野における「読みのストラテジー」習得に向けて -テクスト言語学を援用した試み

大学教育の中では、学術言語という言語変種が習得される必要がある(アカデミック・ライティングもその例である)。かつてドイツ語母語話者を読者として想定していた学術ドイツ語の入門書も、近年、DaF/DaZに対象を広げてきており、ドイツ語学習者のためのシリーズDeutsch für das Studium(Klett)なども発行されている。日本語教育分野では、専門的な知識を使いながら文章を理解するストラテジーの習得や、特定の専門分野に焦点を絞った読解ストラテジーを身に付ける教材がある。いずれも、テクスト言語学・文章論・語用論などの研究成果が生かされている。そうした文脈を背景に、本発表では、専門分野の学びという観点からドイツ語テクストの「読み」を考える。専門科目では、一次文献と二次文献との区分も重要である。二次文献では専門知識を得るための媒介言語・メタ言語としてのドイツ語に焦点を当てるが、一次文献ではドイツ語は分析対象の言語でもある。そこで、「分析的読み」という概念を持ち込みながら、語の選択・統語構造・照応関係・文章のマクロ構造などに注目し、ドイツ語から離れない読みのストラテジー習得を目指して論を展開する。テクスト言語学を援用した課題を用いた講読の授業実践について報告し、発展として専門分野の演習への応用を考える。言語自体の分析に取り組む言語学分野のみならず、史料と向き合う歴史学との多分野協働の試みについても言及したい。

(本研究は、科学研究費補助金基盤研究(C)「専門分野の教育を支える言語変種『学術ドイツ語』の習得:「読み」を焦点に」(課題番号20K00844)の研究成果の一部である)

発表2(文学)山中 慎太郎

テクストの〈接ぎ木〉モデルについて――『親和力』を植物的に読む

多くの場合引用というかたちで、あるテクストに異なる文脈を持ち込むような操作を〈接ぎ木〉というモデルで論じることは、夙にジャック・デリダやウーヴェ・ヴィルトらによって行われており、とりわけ後者によって、そこには思想史的な観点も導入されている。一方で、物語の冒頭に登場する〈接ぎ木〉のモチーフがテクストの構造を大きく決定していると思われる小説『親和力』について、作者ゲーテの植物研究にも目くばせをしつつそれを接ぎ木的テクストとして論じるといった研究は、管見の及ぶ限りほとんどない。
キットラーがその沈黙ゆえに〈1800 年の書き取りシステム〉における「言説生産者」と見なし、ベンヤミンがその「植物のごとくおし黙るさま pflanzenhaftes Stummsein」を強調する、小説中の主要な登場人物のひとりオッティーリエは、テクストにおいて植物と結びつけられ、植物的に扱われることによって、絶食し、死亡するにいたるのだが、そのような植物的状態の中で彼女は言葉を奪われてもいるのである。しかしながら、冒頭で印象的に語られる〈接ぎ木〉が、あたかもテクストの水準においても行われるものであるかのように、この小説には異なる文脈をもつテクストとして「日記」が挿入され、「植物的存在」として、テクストの水準では邪険にされるオッティーリエの言葉は、唯一、接ぎ木されたテクストとしての「日記」においてのみ、その場所を得ることができるのである。本発表は〈接ぎ木〉モデルとして読まれうるテクストの一例として、小説『親和力』を以上のような視点から論じる。

発表3(文学)幅野 民生

フリードリヒ・シュレーゲル『ギリシア文学の研究について』における初期ロマン派的批評の萌芽

本発表では若きシュレーゲルの古代文学研究期の主著『ギリシア文学の研究について』(Über das Studium der griechischen Poesie,以下『研究論』と略記する)を初期ロマン派の批評の端緒として分析する。シュレーゲルはこのテクストにおいて,古代文学と近代文学を対比的に捉えることで,互いの特徴を浮き彫りにし,近代文学に方向性を指し示そうとした。そのため『研究論』は,全体のおよそ半分が近代文学についての叙述に割かれることになった。ここでシュレーゲルは,古代文学において完全な統一性を持った美が実現したことを認めつつも,それが「衝動」によってもたらされたものであったために凋落せざるを得なかったと指摘する。一方,近代文学は「断片的」であると同時に,「悟性」によって主導されるが故に「無限に進展する」ことができると主張する。彼によれば古代においては共同体のなかで遍く美が共有されていたため,作品の美を判断する批評家は必要とされていなかった。それに対し,美の規範を喪失した近代において,批評は作品の出来を判断するだけでなく,作品の全体性を捉え,それを完全なものへと導くために,不可欠な営為となるである。本発表では,古代文学との連関において特徴付けられた近代文学がどのように新たな批評を要請したのか考察する。古代研究をシュレーゲルの批評の出発点の一つと見做すことで,後の批評の実践を彼の思想的発展のなかで捉えることが可能となるのである。

発表4(文学)小池 駿

更新されるべき過去 ― フリードリヒ・トーアベルク『ゴーレムの再来』における伝説性、神話性、歴史性の観点からの一考察

本発表では、作家フリードリヒ・トーアベルク(Friedrich Torberg,1908-1979)の小説『ゴーレムの再来(Golems Wiederkehr) 』における伝説性、神話性、歴史性の三点について検証し、更新されるべきものとして「過去」が表象されていることを検討してゆく。
「タルムード」では、神が大地からアダムを生み出す前の胎児が、泥人形となりカバラの呪文によって動き出したとされている。これは後にゴーレムとして伝説化され、とりわけ20世紀のユダヤ的・カバラ的民話伝説における救済への道を示す象徴的なイメージを有した伝説として、例えばG・マイリンクやE・キッシュなどにより描かれた。G・ショーレムは自身のゴーレム研究でこの流れを指摘しているが、現代的な-戦後における各作品の-解釈には言及をしていない。無論ここにはトーアベルクによって新たに創造されたゴーレム伝説も含まれている。つまり、トーアベルクによってショーレム論が「更新」されただけでなく、トーアベルクの新たなゴーレム伝説そのものにも-作中で明示的に言及されているように-「更新されるべき過去」があると認められる。
なおトーアベルクについての論考は戦後オーストリア-とりわけウィーン-における同時期の作家のそれと比較しても、国内ではそう多くないのが現状だ。本発表では同時期におけるトーアベルクの立ち位置を示す試論としても機能させてゆきたい。

発表5(文学)中村 祐子

クリスタ・ヴォルフと「病」―『クリスタ・Tの追想』における混沌と探求の語り

本発表は、クリスタ・ヴォルフ(Christa Wolf: 1929-2011)の『クリスタ・Tの追想Nachdenken über Christa T.』(1968)をアーサー・W・フランクの『傷ついた物語の語り手』(1995)における語りの分類を用いて、クリスタ・Tではなく「私」の「病」の物語として読み直す試みである。これまで、この小説は、女性の社会主義社会への不適応、または自己実現の試みとその失敗を「主観的真正性」という新しい手法を使って描いたと解釈されてきた。

一人称の語り手である「私」を前景化すれば、この小説は二重の「病」の枠組を持っている。友人が35歳という若さで亡くなったことで「私」は抑鬱状態にあった。その大きな「病」の枠組みの中にクリスタ・Tの2回の鬱病と白血病という「病」が入れ子式に描かれる。フランクは臨床医学の観点から病の語りを「回復の語り」「混沌の語り」「探求の語り」の3つに分類している。「私」の語りは、「混沌の語り」と「探求の語り」の混合型であると見なせる。

「私」はクリスタ・Tの生を「書かなかった詩人」として描こうとした。そのためクリスタ・Tは社会主義社会に生きた女性の等身大の姿と詩人という二面性を持つことになった。その断片の集合体のような語りは「混沌の語り」といえる。語り直しながら、最終的に「死」を受け入れていく方向性は「探求の語り」である。本来「混沌の語り」は病者自身が「語れない」とされている。ヴォルフがどのようにそれを言語化したのかに着目して論じる。

報告1(ドイツ語教育)宮崎 裕子

IDT Wien 2022 参加報告

本発表は、2022年8月15-20日にウィーン大学およびオンラインで開催された第17回国際ドイツ語教員会議(IDT)の参加報告である。本会議はパンデミックの影響で一年延期され、スイスのフライブルクで行われた前回会議以来、5年ぶりの開催となった。実行委員会の集計によると、今会議の参加総数は世界110の国と地域から2747名にも上ったそうだ。このように長い開催歴を持つ大規模な専門会議ではあるが、ドイツ語教育関係者に普く知れ渡っているとは言えないのが現状である。報告者は、今会議でIDTから奨学金を受けて研究発表を行った234名のうちの一人として開催内容の紹介および報告を行うことで、より多くのドイツ語教育関係者がIDTについて知り、各自の研究、発表、交流の場として今後の開催に興味関心を抱けるよう努める。まず、会議の多彩なプログラム構成を概観し、次に報告者が参加したドイツ語圏言語文化の教授法理論および授業実践に関する研究発表・講演・文化行事の具体的内容を報告する。その際、「多言語・複言語」に視点を据え、今会議を貫く標語(Motto)„mit.sprache.teil.haben"がどのように反映されていたかを振り返る。最後に、閉会式で採択された言語政策提言(sprachpolitische Thesen)の意義を確認し、2025年7月28日-8月1日にリューベック/キールで開催される第18回会議への引き継ぎについて報告する。

 

第13回日本独文学会関東支部研究発表会の開催と発表者募集のお知らせ(12月11日開催)

下記の日程で第13回日本独文学会関東支部研究発表会をオンラインにて開催いたします。

発表ご希望の方は、奮ってご応募くださいますようどうぞよろしくお願い申し上げます

まだ関東支部に加入していない研究者・院生の方々にもお知らせいただけると大変ありがたく存じます。

1.日時:2022年12月11日(日)13:00から(開始時間は変更の可能性あり)

2.方式:ビデオ会議システムZoomによる同時双方向型

3.発表内容・形式

・ドイツ文学・文化・語学・教育・社会に関する研究

・発表時間25分 + 質疑10分(日本独文学会の口頭発表に準じる)

・研究発表会の最後に懇談会を予定しています。

4.応募要領

以下の内容を記し、日本独文学会関東支部:eingang@jgg-kantou.org(@を小文字にしてください)まで、メールにてお申し込みください。

(1)氏名

(2)連絡先(メールアドレス、電話番号)

(3)所属

(4)研究発表表題

(5)発表内容要旨(600字程度) 下記の内容を踏まえて作成してください。

・研究の目的

・先行研究との関連

・主張したいテーゼ

5.発表後、発表要旨は日本独文学会関東支部ホームページ上に公開いたします。

6.締め切り:9月30日(金)

7.結果連絡:10月中旬ごろまでに結果および発表要領の詳細についてお知らせする予定です。

2022年6月20日

<日本独文学会関東支部> (支部長) 境 一三(支部選出理事)浅井 英樹

(庶務幹事)江口 大輔 山本 潤(会計幹事)桂 元嗣 (広報幹事)日名 淳裕

2022年度関東支部オンライン総会開催のお知らせ

日本独文学会関東支部会員各位

日頃より関東支部の活動にご協力を賜り、ありがとうございます。

関東支部では来る6月12日(日)にオンライン総会を行います。

日時:6月12日(日)11:00〜11:30

開催方法:Zoomによるリアルタイム配信

参加方法:会員向けのメーリングリストにてZoomのミーティングURLを通知いたします。

 

【プログラム】

1.報告事項:2021年度活動報告

・庶務、会計、広報

・その他

2.審議事項:2022年度活動方針

・2022年度予算案

・2022年度研究発表会

・2023年度幹事選挙

・その他

 

・ご不明な点はeingang@jgg-kantou.org までお寄せください。

以上よろしくお願いいたします。

日本独文学会関東支部 幹事一同

第12回日本独文学会関東支部研究発表会のご案内

下記の日程で第12回日本独文学会関東支部研究発表会を開催いたします。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。

日時:2021年12月12日(日)13:00-16:10

開催方法:Zoomによるリアルタイム配信

参加方法:関東支部会員の方には会員向けのメーリングリストにて発表会前日までにZoomのミーティングURLを通知いたします。会員でない方は、下記リンクのフォームよりお申し込みください。

*ご不明な点はeingang@jgg-kantou.org までお寄せください

<日本独文学会関東支部>

(支部長) 境一三(支部選出理事)浅井英樹(庶務幹事)江口大輔 山本潤

(広報幹事)日名 淳裕(会計幹事)桂 元嗣

 

プログラム

12:55  Zoomミーティング開場

13:00  幹事・支部長挨拶

13:10〜13:45  伊藤港(学習院大学):Absentiv(不在構文)の用法について

13:50〜14:25  森下勇矢(東京大学):道化服と悪魔 ―『阿呆物語』にみる愚者から悪漢への変貌

14:25〜14:50    休憩

14:50〜15:25    相馬尚之(東京大学):心身一元論から「原-自我」へ ―1920年代におけるデーブリーンの自然哲学

15:30〜16:05    前田佳一(お茶の水女子大学):インゲボルク・バッハマンの短編集『三十歳』における固有名の機能

16:10  閉会

発表要旨

発表1(語学)伊藤港

Absentiv(不在構文)の用法について

本発表では、Absentiv(不在構文)が背景描写や様子を表現するフランス語の半過去形と似ている点を明らかにし、ドイツ語にはないとされている新たな時制である未完了相を形成している可能性を検証する。Absentiv (不在構文) とは、以下の例の通りである。

(例) Er war einkaufen. 彼は買い物に行っていた。

ドイツ語のAbsentiv (不在構文) とは、 (sein + 不定詞) の形で作られるものであり、de Groot (2000) で初めて説明がなされている。この構文は、主語の不在を意味するものあり、日本語で「○○をしに行っている/ いた」と訳すことができ、進行形的な表現だと考えられる。だが、日本にあるほとんどの文法書や教科書に記載されていないのである。また、先行研究ではVendler (1967) の動詞分類に従って、Absentivを構成する動詞の種類分けのみが行われており、コンテクスト、アスペクト、分離動詞、動詞の目的語の冠詞などについて十分に考察されていない。しかし、マンハイムのドイツ語研究 (Institut für Deutsche Sprache, Mannheim; IDS) のCOSMASⅡ (検索システム) でコーパスを検索し分析した結果、先行研究に挙げられていなかった Absentiv に使われる動詞や接続法2式の形もいくつか発見することができた。またコンテクストに注目すると、文中に現れるAbsentiv は「主語が話の中心地にいない」というVogel (2007) などで述べられていた元々の不在の意味だけではなく、補足的情報、背景部の記述をする機能も持ち合わせていると考えられる例文がいくつもあった。そのため、Absentiv がドイツ語の今までになかった時制である未完了を表現する構文である可能性があり、それがフランス語の半過去形の表現に類似している。フランス語の半過去形は、過去のある時点での行為、状態をまだ完了していない進行中のものとして表現し、継続、習慣、反復、描写などの多彩な用法を持っているものである。

 

発表2(文学)森下勇矢

道化服と悪魔

『阿呆物語』にみる愚者から悪漢への変貌

ドイツ近世の諷刺作品や謝肉祭劇で多く見られた道化の形象と結びつくのは、彼らを指す語「Narr」が示す通り、人間の「愚」の概念である。この「愚者概念Narrenidee」はセバスティアン・ブラント(Sebastian Brant, 1457-1521)の『阿呆船』(Das Narrenschiff, 1494)に代表される「愚者文学」の根幹をなすものであった。そして、ブラントに続くトーマス・ムルナー(Thomas Murner, 1475-1537)やデジデリウス・エラスムス(Desiderius Erasmus, 1466-1536)を始めとする多くの愚者文学作家に連なるのが、バロック期の諷刺作家ハンス・ヤーコプ・クリストッフェル・フォン・グリンメルスハウゼン(Hans Jakob Christoffel von Grimmelshausen, 1622-1676)である。本研究では、グリンメルスハウゼンの代表作『阿呆物語』(Der Abentheuerliche Simplicissimus Teutsch, 1668)を取り上げ、この作品が内包する愚者概念と主人公ジンプリチウスが持つ道化性を明らかにすることを試みる。

ジーン・シリンガーはジンプリチウスが持つ純真さの源である「単純さsimplicitas」と対をなす愚かさを「ストゥルティティアstultitia」とした上で、これら二つの愚がジンプリチウスの中で互いにぶつかりあうと述べる。(Schillinger, 2007) 否定的愚である「stultitia」は、すでに旧約聖書の中で「賢sapiens」と対置されて扱われた概念であるが、これは罪に陥る人間の根本要因となるものであり、ジンプリチウスを「徐々に悪徳へと導いていく」(Moll, 2015)。本研究ではシリンガーの論じる愚の対立構造をふまえつつ、「simplicitas」によって無垢な状態にあった少年ジンプリチウスが職業道化となったのち、「悪魔の模倣imitatio diaboli」を行いつつ「stultitia」にのまれていくプロセスに分析の焦点を置く。ジンプリチウスの悪漢への変容が、彼の道化性と愚の相互作用によって引き起こされるというテーゼを立て、中世以降の神学的議論に鑑みながらこの検証を行う。

 

発表3(文学)相馬尚之

心身一元論から「原-自我」へ

――1920年代におけるデーブリーンの自然哲学

本発表は、ドイツ人作家アルフレート・デーブリーン(Alfred Döblin 1878-1957)の1920年代の自然哲学について、当時の一元論思想との関係から論じる。デーブリーンは文学的評価が先行しているが、近年では彼の精神科医としての経歴や自然哲学、その小説との関係も注目されている。

本発表では、まずデーブリーンのエッセー「自然とその魂」(„Die Natur und ihre Seelen“ 1922)を取り上げ、その万物の魂(Allbeseeltheit)の構想について同時代の生物学者エルンスト・ヘッケル(Ernst Haeckel 1834-1919)の一元論的世界観との相似から論じる。だがこれは自然科学からの逸脱に留まらない。科学との調停を目指す一元論思想は19世紀後半に「心的素材理論(Mind-Stuff Theory)」を発展させており、微細な原子にも魂が宿るとする主張は、アメリカの心理学者ウィリアム・ジェイムズ(William James 1842-1910)が論じたように、進化論の時代における一元論の不可避的要請であった。

しかしデーブリーンは、『自然を超える自我』(Das Ich über der Natur, 1927)において自我の分類のみならず「原-自我(Ur-Ich)」の導入により、世界内の個体の再評価を試みる。精神物理学の影響を残すデーブリーンの折衷的自然哲学からは、心身一元論の葛藤――精神の物質的還元と物質自体の精神化――が明らかになるのだ。

 

発表4(文学)前田佳一

インゲボルク・バッハマンの短編集『三十歳』における固有名の機能

1960年に「名前との付き合い」と題した詩学講義を行ったことからわかるようにインゲボルク・バッハマンは文学作品における固有名というテーマに強い関心を有していた。発表者は前田(2019)においてDebus(2012)による文学的固有名の機能類型を応用してバッハマン作品における地名の機能を分析し、バッハマンが固有名の「アウラ」による錯覚形成機能を批判的に捉え、それを無効化・脱魔術化しようとしていたことを明らかにした。

本発表ではそれを引き継ぎ、短編集『三十歳』(1961)収録の諸作品における人物名の機能を考察する。上記詩学講義では文学史上の有名作品における人名が有していたアウラの「壊死」について言及されるが、それに呼応するかのように同短編集における登場人物の名称は多くの場合(「三十歳」のモル、エレーナ、レーニ、ヘレーナ、「すべて」のフィップス、「ウンディーネが行く」のハンス等)固有性を喪失した陳腐で類型的な名として登場する一方で、物語中重要な役割を果たす人物たち(「三十歳」の名前のない女と運転手、「人殺しと狂人たちのあいだで」における見知らぬ男等)には名前がつけられることはなく、匿名のまま作中で言及される。こうした人名の無意味化と匿名化は既にみた地名の脱魔術化と符合しているが、同作品集はそれにとどまらず、語り手の「私(Ich)」という名をも無効化する契機を含んでおり(「オーストリアの町での子ども時代」「三十歳」等)、あらゆる名称のアウラを無効化せんとするバッハマンの志向がここに見て取れることを本発表は最終的に指摘する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第12回日本独文学会関東支部研究発表会の開催と発表者募集のお知らせ(12月12日開催)

第12回日本独文学会関東支部研究発表会の開催と発表者募集のお知らせ(12月12日開催)

下記の日程で第12回日本独文学会関東支部研究発表会をオンラインにて開催いたします。

発表ご希望の方は、奮ってご応募くださいますようどうぞよろしくお願い申し上げます。

まだ関東支部に加入していない研究者・院生の方々にもお知らせいただけると大変ありがたく存じます。

1.日時:2021年12月12日(日)13:00から(開始時間は変更の可能性あり)

2.:方式:ビデオ会議システムZoomによる同時双方向型

3.発表内容・形式

・ドイツ文学・文化・語学・教育・社会に関する研究

・発表時間25分 + 質疑10分(日本独文学会の口頭発表に準じる)

4.応募要領

以下の内容を記し、日本独文学会関東支部:eingang@jgg-kantou.org(@を小文字にしてください)までメールにてお申し込みください。

(1)氏名

(2)連絡先(住所、メールアドレス、電話番号)

(3)所属

(4)研究発表表題

(5)発表内容要旨(600字程度) 下記の内容を踏まえて作成してください。

・研究の目的

・先行研究との関連

・主張したいテーゼ

5.発表後、発表要旨は日本独文学会関東支部ホームページ上に公開いたします。

6.締め切り:9月30日(木)

7.結果連絡:10月中旬ごろまでに結果および発表要領の詳細についてお知らせする予定です。

2021年8月1日

<日本独文学会関東支部> (支部長) 境 一三 (支部選出理事)浅井 英樹

(庶務幹事)江口 大輔 山本 潤(会計幹事)桂 元嗣 (広報幹事)日名 淳裕

第11回日本独文学会関東支部研究発表会のご案内

下記の日程で第11回日本独文学会関東支部研究発表会を開催いたします。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。

日時:2020年12月13日(日)13:00-17:30

開催方法:Zoomによるリアルタイム配信

参加方法関東支部会員の方には会員向けのメーリングリストにて発表会前日までにZoomのミーティングURLを通知いたします。会員でない方は、下記リンクのフォームよりお申し込みください(会員の方はお申し込みをする必要はありません)。

 

【注意!】関東支部メーリングリストに登録されている会員であるにもかかわらず、関東支部からのお知らせが届いていないという事例があるようですもし前日までにZoomのミーティングURLが届いていないという方がいらっしゃいましたら、eingang@jgg-kantou.org までご連絡ください。至急URLをお教えいたします。

プログラムと発表要旨のダウンロード: 2020関東支部研究発表会pdf

プログラム

12:55 Zoomミーティング開場
13:00 幹事・支部長挨拶
13:10〜13:45 小野二葉
声の遠近―川上弘美『真鶴』の日独話法比較
13:50〜14:25 清水恒志
小説はどこまで美を表現しうるか-E. T. A. ホフマン『騎士グルック』と『カロ風幻想絵画集』
14:30〜15:05 相馬尚之
戦間期ドイツにおける進化論の射程―リ・トッコ『オートマタ時代』(1930)における一元論的世界観の表出
15:05〜15:30 休憩
15:30〜16:05 日名淳裕
イルゼ・アイヒンガー『贈られた助言』における「錆」の主題
16:10〜16:45 別府陽子
共苦の人・ゲルダ・ブッデンブローク―『ビルゼと私』をもとにして
16:50〜17:25 山﨑裕太
ニクラス・ルーマンの索引カード箱とコンピューター  
17:30 閉会
*ご不明な点はeingang@jgg-kantou.org までお寄せください。

 

<日本独文学会関東支部> (支部長) 山本 潤

(支部選出理事・庶務幹事)前田 佳一(広報幹事)日名 淳裕

(会計幹事)桂 元嗣

発表要旨

発表1(文学)小野二葉

声の遠近――川上弘美『真鶴』の日独話法比較

文学作品の話法の翻訳に関する研究は、現在までのところ純粋に技法的な領域に限定されており、作品の語りの問題と有機的に関連づけられているとはいいがたい。翻訳においてはしばしば話法の変更が行われるが、このことはしかし、翻訳の巧拙という視点のみならず、語りの「声」の変更という視点からも考察されるべきである。

本研究では、異なる言語間の比較を可能にするために、話法を「語り」と「語られる物語世界」の間の距離を表すものとして捉え、川上弘美『真鶴』の日本語原典とドイツ語翻訳における語りの声を比較する。『真鶴』の物語世界は、一人称の語り手「わたし(ich)」によって語られるが、「わたし」の「声」はそれ自体で独立した語りの地位を占めているのではなく、他の登場人物の「声」と近づいたり遠ざかったりする、その関係を通じて立ちあがってくる。話法の区別が流動的な日本語テクストでは、したがって声の遠近も流動的になり、一方、話法の区別が比較的明確なドイツ語テクストでは、話法の訳し分けによって距離の変化のダイナミズムが生じることを、本研究は明らかにする。このことはしかし、異言語間における語りの(正確な)翻訳の不可能性を示唆するというよりむしろ、テクスト間の声がお互いに関連し、影響し合う異文化間対話、すなわち翻訳は、声の多重性という点で小説言語そのものと本質を同じくしていることを示唆しているのだろう。

発表2(文学)清水恒志

小説はどこまで美を表現しうるか

――E. T. A. ホフマン『騎士グルック』と『カロ風幻想絵画集』

『騎士グルック』は後期ロマン派の作家ホフマンが1809年に公表した小説であり、後の1814年に『カロ風幻想絵画集』第一巻に収録された。

狂気の音楽家と語り手との出会いを描くこの短編小説は、音楽や絵画などの芸術への関心や、大都市のレアリテートと幻想、あるいは狂気と精神医学というように多様な要素を含み、豊饒な読解の可能性を示している。しかし本作は『カロ風幻想絵画集』の他作品との文脈の中で論じられて初めてその全貌が明らかになろう。それは『騎士グルック』が『カロ風幻想絵画集』に組み込まれ他の作品との相互的な反省関係に置かれることで、小説による美の表現可能性の追求という作品に内在する試みがあらためて浮き彫りになっていると考えられるためである。

『カロ風幻想絵画集』に収録された他作品との関連という視点では、すでにLubkoll(1995)が音楽小説の観点から『クライスレリアーナ』と、またNeumann(1995)が知覚論やメディア論の観点から『ドン・ジョバンニ』やジャン・パウルによる序文などと合わせて本作を論じている。本発表ではこれらの先行研究を踏まえた上で、『騎士グルック』が音楽と絵画、そして文学を合わせ、さらには五感をも叙述することを目指しながら、同時に『カロ風幻想絵画集』一巻全体において「空白の楽譜」という想像力の表現の限界を示すモティーフを繰り返すことで、自己批評性をも持つ総体的な小説の試みであることを示したい。

発表3(文学)相馬尚之

戦間期ドイツにおける進化論の射程

――リ・トッコ『オートマタ時代』(1930)における一元論的世界観の表出

本発表は、作家・化学技術者リ・トッコ(Ri Tokko, ルートヴィッヒ・デクスハイマー Ludwig Dexheimer 1891-1966)の未来小説『オートマタ時代――ある予測的小説』(Das Automatenzetialter: ein prognostischer Roman, 1930)における機械表象から、生物学者エルンスト・ヘッケルの一元論的世界観の広がりを踏まえつつ、当時の生物学の普遍化の試みについて検討する。

 戦間期ドイツでは多くの未来/技術/ユートピア小説が著されたが、デクスハイマーの小説は一貫した筋も産業社会への諷刺もなく、延々と楽観的未来予測と技術史の講釈が続くため、冗長で低級な作品とされた。

 本発表では第一に、『オートマタ時代』における機械の発展史が、進化論の概念と用語に依拠していることを確認し、続けて、作中の人造人間「ホマート」の機構に対する生理学者リヒャルト・ゼーモンの有機記憶論の影響を示す。デクスハイマーは、進化論の濫用に対する文芸的諷刺ではなく、将来の「科学的」予測のために機械に生物学を援用しており、機械と生物ひいては無機物と有機物の境界を越えるヘッケル的な「一元論的世界観」に傾倒している。

 デクスハイマーは化学者ヴィルヘルム・オストヴァルトと社会学者ルドルフ・ゴールトシャイトからの影響を認めているが、彼らは「ドイツ一元論者同盟」の枢要な会員であり、「一元論的世界観」は厳密科学の領域を超え当時の人々を魅了していた。『オートマタ時代』は文学的には駄作であるとしても、客観性を謳う生物学と文学的想像力の奇妙な遭遇例として、普遍的法則を追求する科学的世界観の傲慢と可能性を示している。

発表4(文学)日名 淳裕 

イルゼ・アイヒンガー『贈られた助言』における「錆」の主題

その散文作品が広く知られているイルゼ・アイヒンガー(Ilse Aichinger 1921-2016)は,自らの詩作品にたいする深い関心について述べてきた。主として1950年代に様々な雑誌に発表された散文詩は2001年にSimone Fässlerによって『クルツシュルッセ. ウィーン(Kurzschlüsse. Wien)』として一冊にまとめられた。一方1950年代後半以降に長い時間をかけて発表された詩をまとめたものが唯一の詩集とされる『贈られた助言(Verschenkter Rat)』(1978)である。 

アイヒンガーの詩作品は散文作品に比べると研究対象として論じられることが少ないままである。概観すると,散文詩に表現されたウィーンの地誌を読み解くもの,夫ギュンター・アイヒとの関連から創作過程を分析するもの,戦時下の体験とその記憶を詩から読み解くもの,アイヒンガーが好む言葉を手がかりに詩を分析するもの,詩作品を生起させている言語の構造に着目しアイヒンガーの詩全体をテクスト生成的に論じたものがある。本発表は『贈られた助言』に収録された複数の詩の中で用いられている「錆びるrosten」という動詞に注目する。この語が詩作品の結束構造をどのように担っているのかを音韻,形象の両面から考察する。

発表5(文学)別府陽子

共苦の人・ゲルダ・ブッデンブローク

――『ビルゼと私』をもとにして

トーマス・マン作『ブッデンブローク家の人々』の3代目トーマスの妻ゲルダは、美しく、ヴァイオリンを弾く芸術家気質の女性である。先行研究では、ゲルダは音楽で一族を没落に導く役割をもつといわれ、目元の翳や冷たいという叙述から、ゲルダは愛する能力がなく、自己の意志と幸福を優先すると論じられている。しかしこの見方からは、第10部で世間の人々がトーマスとゲルダの夫婦を、礼儀正しく互いを思いやり、かばい合う関係にあると感じることを説明できない。

マンはエッセイ『ビルゼと私』で、認識する芸術家に人間としての一面があることを記している。ゲルダは、芸術家としては、夫や義弟を観察して市民でないというが、人間としては、息子を思いやり、才能を理解する母であり、家業に必要な社交を為し、夫をいたわり、共に読書をする妻である。夫との「音楽的価値」をめぐる唯一の口論でも、ゲルダは夫の芸術的感性を認めたうえで、音楽的感性のみ劣るという。

またゲルダは、トーニの「私を嫌っていたわよね」に言い返さず、姪の婿の「ヴァイオリンのご機嫌」を伺う陳腐な挨拶に何も言わず、常に他者を非難しない。

夫が路上に倒れたとき、ゲルダが身を震わせてトーニにいう言葉、「……ひどいわ、侮辱だわ…」は、夫の努力と苦しみを認識して我が事として共に苦しむゲルダの思いやりと同情(共苦)の言葉である。

発表6(文学)山﨑裕太

ニクラス・ルーマンの索引カード箱とコンピューター

本発表は、索引カード箱(Zettelkasten)がコンピューターの前身であるという仮説を立て、これをニクラス・ルーマンの思想から検証することを目的とする。

私の主張するテーゼは、ルーマンのシステム論と索引カード箱に、バイナリーコードやファイル管理機能といったコンピューターシステム的な考え方が認められるということである。索引カード箱とコンピューターのファイル管理機能との類似はすでにGfrereisとStrittmatterらによって示唆されている。ルーマンはおよそ9万枚もの索引カードを所有し、それらは現在ビーレフェルト大学Niklas Luhmann-Archivにおいてデジタル化が進められている。その一部はインターネット上で閲覧可能である。同プロジェクトにおいて索引カード箱の詳細と、索引カード箱に対するルーマンの考えが包括的にまとめられている。しかしながら、ルーマンのシステム論に含まれる、オートポイエーシスといったコンピューターに関連する考えについては言及されていない。これを、ヴィレム・フルッサーやフリードリヒ・キットラーなどのコンピューター論と比較して論じたい。