第15回日本独文学会関東支部研究発表会のご案内


下記の日程で第15回日本独文学会関東支部研究発表会を開催いたします。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。

日時:2024年11月24日(日)14:00~
場所:早稲田大学早稲田キャンパス 11号館503教室
参加費:関東支部会員は無料、非会員は500円

プログラムと発表要旨のダウンロード:第15回日本独文学会関東支部研究発表会

 

プログラム

14:00〜14:05 開会の挨拶
14:10〜14:45 清水恒志
E. T. A. ホフマン『黄金の壺』についての一考察 wunderbarとwunderlichの交替を手掛かりに
14:50〜15:25 中村祐子
ギュンダーローデの短剣 『どこにも居場所はない』から『カッサンドラ』へ
15:25~15:40 休憩
15:40〜16:15 保阪靖人
ドイツ語における疑問詞の長距離移動について:移動の障壁(島)について
16:20~16:55 林 明子・西出佳詩子
分析的な読みからテクスト産出者の意図を探るまで 専門分野につながる読みのストラテジー習得を目指して

17:00 閉会の挨拶

 

(ご連絡)
当日、新規入会申し込みおよび会費(年会費500円)の納入ができます。

<日本独文学会関東支部> (支部長) 若林 恵(支部選出理事)浅井 英樹
(庶務幹事)江口 大輔 前田 佳一(会計幹事)時田 伊津子
(広報幹事)杉山 有紀子

 

会場のご案内
早稲田大学早稲田キャンパス 11号館503教室

交通アクセス
JR 山手線 高田馬場駅から徒歩20分
西武鉄道 西武新宿線 高田馬場駅から徒歩20分
東京メトロ 東西線 早稲田駅から徒歩5分
東京メトロ副都心線 西早稲田駅から徒歩17分

住所
〒169-8050 新宿区西早稲田1-6-1

早稲田大学交通案内URL
https://www.waseda.jp/top/access/waseda-campus

 

発表要旨

発表1(文学)清水恒志
E. T. A. ホフマン『黄金の壺』についての一考察 wunderbarとwunderlichの交替を手掛かりに

 本発表では『黄金の壺Der goldene Topf(1814)』を取り上げ、形容語「不可思議wunderbar(wundervoll)な」と「奇怪wunderlich(seltsam, sonderbar)な」を手掛かりとし、作品に内在する論理を明らかにすることを目標とする。
 wunderbarは西洋の各時代の詩学でも議論の対象となる鍵語であり、特にロマン派ではノヴァーリスが想像力や夢、メルヒェンと関連づけ、ポエジーそのものと同一視している。
 これを受けた「新時代のメルヒェン」たる『黄金の壺』にはwunderbarの語で形容される快いものや好ましい事物が多く現れるとともにwunderlichの語で説明される謎めいた存在や不気味なものもまたしばしば登場する。そのためこの二つの語は、火の精と魔女の戦いに象徴される作品世界内の対立に呼応しているかのように見える。しかし、この作品では幻想的世界と市民社会、動物と植物などあらゆる事物は時に混じりあい、時に相互に移行し変化する。こうしたアラベスク(Oestrle, 1991)やメタモルフォーゼ(Kremer, 1993)という不定形の原理のもとでは、この二つの形容語が修飾するものも対立の関係ではなく連続し相互に関連するものとなり、時には同じ出来事がwunderbarでありwunderlichであるという「矛盾」さえ生じる。結論を先んじれば、これらの語の交替にはホフマンのロマン主義の受容と同時にその批判と相対化という反省的な構成原理が表れていると解釈できる。

 

発表2(文学)中村祐子
ギュンダーローデの短剣  『どこにも居場所はない』から『カッサンドラ』へ

 本発表は、クリスタ・ヴォルフの『どこにも居場所はない』(1979)と『カッサンドラ』(1983)における「短剣」に焦点を当て、女性への抑圧と抵抗についてのヴォルフの考えの変化を探る試みである。ギュンダーローデは常に短剣を携帯し、カッサンドラは持とうとしない。その違いがどこからくるのかを、この間に書かれたエッセイ「クライストの『ペンテジレーア』」(1982)を手がかりにして考察する。
 この両作品でヴォルフは時代を移すことで女性問題の根本的課題を「社会主義の実現」という文脈から切り離して提示しようとした。そして『カッサンドラ』では、ヴォルフのギリシア悲劇の研究を踏まえて、フェミニズム的メッセージがより強くなったとみなされている(Kuhn; Opitz-Wiemers)。若くして死ぬ未完成な女性主人公の系譜の中で、ギュンダーローデの先にカッサンドラがいるとしたら(Hilzinger)、ペンテジレーアは単にロマン主義と古代ギリシアを結んでいるだけではない。
 ギュンダーローデは、男性中心の文学界に挑む苦難の中、短剣を持つことで生殺与奪権が自らにあると考えた。その一方、カッサンドラは短剣を持つことを拒み、予知した運命から逃げないという決断をした。これは武器を行使する社会に入ることを拒んだとも言える。ヴォルフは、ペンテジレーアが「家父長的影響を逆照射した」世界で「自由」と「掟」を無にして自ら短剣で果てたと解釈した。それがギュンダーローデからカッサンドラへの道程となったのだと考えられる。

 

発表3(言語学)保阪靖人
ドイツ語における疑問詞の長距離移動について:移動の障壁(島)について

 本発表では、ドイツ語のdass節からの疑問詞の長距離移動について論じる。その典型例は、Was glaubst du, dass Hans gekauft hat? である。動詞kaufen の目的語であるwas がdass節を超えて主文へ移動している。本発表ではこのような構文は英語やイタリア語などと比べるとかなり制約を受けることを述べる。英語のthat節や、イタリア語のche節に対して、ドイツ語のdass 節は移動の障壁となっており、この障壁を本発表ではRoss(1967)の用語から、島(Insel)と名付ける。そして、その障壁の強さを「島性」と名付け、「島性」について明らかにしたい。
 日本語で「太郎は何を買ったと思いますか。」という文は自然な疑問文であり、もし島性がドイツ語にあるとすれば、この日本語に対応する表現をどうやって実現するかという問題がある。例えば、Was hat Hans gekauft, glaubst du?でもそれは十分実現されるかもしれない。また、挿入的にWas glaubst du hat Hans gekauft?としても可能かもしれない。しかしながら、ドイツ語は次のようにこの島性の問題を回避する構文を多く利用している:Was glaubst du, was Hans gekauft hat?
 本発表では、この構文がかなり自然に使用されていることを述べるとともに、それがdass 文の島性と関わることを主張したい。

 

発表4(ドイツ語教育)林明子、西出佳詩子
分析的な読みからテクスト産出者の意図を探るまで -専門分野につながる読みのストラテジー
習得を目指して-

 大学におけるドイツ語教育は、専門分野での運用に耐える学術ドイツ語への発展を見据えて行われるべき性格を持つ。本研究では、2年次以降の語学領域における「講読/読解」のあり方を、「専門分野につながる読みのストラテジーの習得」という側面から捉え直す。ここでは、読みのストラテジーを、学生が専門分野で自立的に運用できる「分析的な読み」に限定する。音声・語彙・形態・統語レベルの既習知識の活性化とともに、テクストレベルで新しい知識や分析力を身に付け、そこから得られる気づきを体験することによって、分析的な読みの習得を目指す。専攻におけるドイツ語との関わりが直接的か間接的かを問わず、文献やデータに自立的に取り組める力をつけてほしい。そこで、まず、テクスト言語学の知見に基づく教科書分析・課題教材の作成に取り組んだ。次に、それを用いた授業実践に臨み、学習者からフィードバックを得るという作業手順により、専門分野への発展の可能性を探った。一般的に「読み」は受動的な技能に分類されるが、テクスト受容者が自らの推測を検証しながら読み進める動的かつ能動的な活動でもある。ドイツのDaF/DaZ向けの言語学入門書でも扱われるテクスト言語学では、テクストはコミュニケーションのための出来事(ボウグランド・ドレスラー、1981)と定義される。本発表では、結束性に関わる指示、接続などに加え、引用やテクストの構造・展開にも注目し、テクスト全体を意識した分析的な読みを通してテクスト産出者の意図を読み取るまでの一連のプロセスを「読み」の活動ととらえ、論を展開する。

第15回日本独文学会関東支部研究発表会の開催と発表者募集のお知らせ(11月24日開催)

下記の日程で第15回日本独文学会関東支部研究発表会を開催いたします。

発表ご希望の方は、奮ってご応募くださいますようどうぞよろしくお願い申し上げます。

まだ関東支部に加入していない研究者・院生の方々にもお知らせいただけると大変ありがたく存じます。

1.日時:2024年11月24日(日)13:00から(開始時間は変更の可能性あり)

2.会場:早稲田大学早稲田キャンパス 11号館503教室

交通アクセス:https://www.waseda.jp/top/access/waseda-campus

3.発表内容・形式
・ドイツ文学・文化・語学・教育・社会に関する研究
・発表時間25分 + 質疑10分(日本独文学会の口頭発表に準じる)

4.応募要領
以下の内容を記し、日本独文学会関東支部:eingang@jgg-kantou.org(@を小文字にしてください)まで、メールにてお申し込みください。
(1)氏名
(2)連絡先(メールアドレス、電話番号)
(3)所属
(4)研究発表表題
(5)発表内容要旨(600字程度)

下記の内容を踏まえて作成してください。
・研究の目的
・先行研究との関連
・主張したいテーゼ

5.発表後、発表要旨は日本独文学会関東支部ホームページ上に公開いたします。
6.締め切り:8月31日(土)
7.結果連絡:9月中旬ごろまでに結果および発表要領の詳細についてお知らせする予定です。

<日本独文学会関東支部> (支部長) 若林 恵(支部選出理事)浅井 英樹
(庶務幹事)江口 大輔 前田 佳一(会計幹事)時田 伊津子 (広報幹事)杉山 有紀子

日本独文学会関東支部総会(オンライン)のお知らせ

日本独文学会関東支部会員各位

日頃より関東支部の活動にご協力を賜り、誠にありがとうございます。
関東支部では来る6月16日(日)にオンライン総会を行います。詳細は次の通りです。

 日時:6月16日(日)14:00〜14:30
Zoom URL: https://list-waseda-jp.zoom.us/j/92809809289?pwd=Sk9YbldGZlF4d084N3lWRFFvVTd0QT09
ミーティングID: 928 0980 9289
パスコード: 343565

【プログラム】
1.報告事項:2023年度活動報告
・2023年度会計報告

2.審議事項:2024年度活動方針
・2024年度予算案
・2024年度研究発表会
・その他

 【ご参加にあたっての留意事項】
・Zoomの登録名は実名表示にした上でご参加ください。
・カメラをオンにする必要はありません。
・マイクは発言を行う時を除いてミュートにしていてください。
・上記のURLを会員以外の方に教えることはお控えください。
・ご不明な点はeingang@jgg-kantou.org までお寄せください。

 【会費納入のお願い】
6月8日と9日に日本独文学会春季研究発表会が慶應義塾大学日吉キャンパスにて行われます。研究会会場の関東支部Infotischで受け付けますので、新年度の支部会費の納入をどうぞよろしくお願い申し上げます。

また振込での納入をご希望の方は、 http://jgg-kantou.org/mitgliedsbeitrag をご参照ください。(研究発表が行われている時間には関東支部Infotischを閉める場合もありますので、ご了承願います。)

以上よろしくお願いいたします。

日本独文学会関東支部 幹事一同

第14回日本独文学会関東支部研究発表会のご案内

下記の日程で第14回日本独文学会関東支部研究発表会を開催いたします。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。

日時:2023年12月10日(日)15:00~17:15
場所:早稲田大学早稲田キャンパス 7号館2階 7-205教室
参加費:関東支部会員は無料、非会員は500円

プログラムと発表要旨のダウンロード:第14回日本独文学会関東支部研究発表会

 

プログラム

15:00〜15:05 開会の挨拶
15:10〜15:45 木戸繭子
トーマス・マンの最初の短編作品「幻想」における身体表象
15:55〜16:30 内田賢太郎
ベルリンのユンガー 大都市体験と立体鏡的知覚をめぐって
16:30~16:40 休憩
16:40〜17:15 鈴木佑紀乃
アルフレート・デーブリーン『ベルリン・ アレクサンダー広場』における発話行為について
17:15 閉会の挨拶

(ご連絡)
当日、新規入会申し込みおよび会費(年会費500円)の納入ができます。

<日本独文学会関東支部> (支部長) 若林 恵(支部選出理事)浅井 英樹
(庶務幹事)江口 大輔 前田 佳一(会計幹事)時田 伊津子
(広報幹事)杉山 有紀子

 

会場のご案内
早稲田大学早稲田キャンパス 7号館2階 7-205教室

交通アクセス
JR 山手線 高田馬場駅から徒歩20分
西武鉄道 西武新宿線 高田馬場駅から徒歩20分
東京メトロ 東西線 早稲田駅から徒歩5分
東京メトロ副都心線 西早稲田駅から徒歩17分

住所
〒169-8050 新宿区西早稲田1-6-1

早稲田大学交通案内URL
https://www.waseda.jp/top/access/waseda-campus

 

発表要旨

発表1(文学)木戸繭子
トーマス・マンの最初の短編作品「幻想」における身体表象

本発表では、トーマス・マン(1875-1955)の最初の短編散文作品「幻想」(Vision)における身体表象を検討し、その創作活動の最初期から、「危機にさらされる身体」がマンの文学的創作における問題意識の中心に存在していたことを示す。
このごく短い作品は1893年に学生雑誌『春の嵐』に掲載された。この雑誌は、18歳のマン自身が編集し、またそこにおいて作品を発表して作家としてのキャリアを開始したものであるが、そのうちの一つのテクストがこの「幻想」であった。この作品においては語り手の「私」があるエロティックな幻想を経験する。この作品はこれまで十分な研究がなされてきたとは言えないものの、モチーフの点においてはE.T.Aホフマンやテオドール・シュトルムなどの影響、その後のマンの作品におけるモチーフとの関連、そして、ユーゲント・シュティルや、ヴィーナー・モデルネとの関連で論じられてきた。たしかにこの短編作品は、その献辞が明らかにしているように、神経ないし感覚に重点が置かれる点においては、自然主義を「神経的ロマン主義」あるいは「神経の神秘主義」によって克服するという論を展開するヘルマン・バールの影響が大きい。しかしながらこのマンのテクストにおいては、それに加えて身体が危機にさらされる局面が特徴的に見出される。エロティシズムによって神経が解き放たれながらも、それは語り手を解放するものではなく、欲望の主体たる語り手の身体に苦痛を与えるものであり、一方で欲望の客体もまた苦痛を与えられ、そして、その身体は断片として提示される。この、エロティックなものによって惹起される身体の危機こそがこの作品の中心的なテーマなのである。

発表2(文学)内田賢太郎
ベルリンのユンガー 大都市体験と立体鏡的知覚をめぐって

本発表ではエルンスト・ユンガーの大都市体験が、彼の独自の知覚論、立体鏡的知覚へ与えた影響を扱う。ユンガーは1927年にライプツィヒからベルリンへ生活の拠点を移す。大都市体験はこの頃の思索日記風のエッセー『冒険心 第一稿』に散発的に描かれているが、そこに共通して表れているのは、技術への恐怖と魅惑の入り混じった関心である。
ジェフリー・ハーフはこのアンビバレントな姿勢を、都市と戦争を同一視し、都市を賛美しつつ恐怖に浸り、価値も美も見出すゆえであり、反動的モダニズムの典型例と指摘する。
対してトーマス・キーリンガーは、ユンガーにおいて魅惑と恐怖が重なる点を分析しつつ、20年代のユンガーが取り組んでいた夢というモティーフと都市論の関連性から、戦争で体験した生の知覚が彼の都市論には変わらずに見られることを論じる。ノルベルト・シュタゥプはこの夢モティーフとの連関を更に掘り下げ、そこにカタストロフへの不安を指摘した上で、都市には麻痺の作用があること、ユンガーの知覚はその麻痺からの脱却を可能にしうることを論じている。
本発表はこの後者2人の論を引き継ぎ、まだ十分に論じられてきたとは言いがたいユンガーにおける都市空間の意味を、知覚論の観点から見ることを目的とする。ユンガーの都市論の分析を通じて、ユンガーが都市をカタストロフが常態化した悪夢的空間と捉えていること、都市の麻痺の作用からの脱却ではなくむしろ能動的な没入を目指し、それによって注意力の散漫と集中の二重の知覚を求めること、この知覚によって都市は生のアレゴリー的空間として表れることを論じてゆく。

発表3(文学)鈴木佑紀乃
アルフレート・デーブリーン『ベルリン・アレクサンダー広場』における発話行為について

デーブリーンの長編『ベルリン・アレクサンダー広場』は、1920年代のベルリンで暮らす主人公、ビーバーコプフの受難を描いた物語である。彼は刑務所から出所するとひとかどの人物として生きようとするも失敗し、都市群衆の中に埋没する。このような挑戦と挫折は彼の行う発話にも反映されている。彼は物語冒頭で、あるユダヤ人から、弁舌の巧みさで財を成したツァノーヴィッヒという人物とその息子についての物語を教えられる。このことがきっかけで彼は弁舌の巧みな人物に憧れ、自身もそうなろうと試みるが上手くいかない。ビーバーコプフは様々な不運に見舞われると絶望して、意識を失い生死の境をさまよう。そこで彼は冥界の死神に出会い、それまでの生き方を反省する。その後回復すると、彼は再びベルリンへ戻ってくるが、群衆に溶け込み、発話に消極的になっている。こうしたビーバーコプフによる発話の傾向と変化、そしてその意味づけは、先行研究ではほとんど注目されておらず、本作での言葉を用いた伝達行為に関する研究の多くは、モンタージュという物語の語りに関する技法に焦点を当てられている。
本発表は、作品の主人公ビーバーコプフによる発話行為の変容を、作品全体の構成の中で検討することを目的としている。彼の発話にみられる傾向や、物語冒頭でツァノーヴィッヒの物語が彼に与えた影響などについて論じ、彼の発話行為には大都市における構築(Aufbau)と崩壊(Zerfall)の対立が背景にあると考えられることを示す。

第14回日本独文学会関東支部研究発表会の発表申し込み期間延長のお知らせ

第14回日本独文学会関東支部研究発表会(12月10日(日)早稲田大学にて開催予定)の研究発表申し込みの締め切りを過ぎましたが、まだ発表者の枠に若干の余裕がありますので、申し込み期間を延長します。新たな締め切りは10月21日(土)です。
どうぞ奮ってご応募くださいますよう、よろしくお願いいたします。
発表申し込みの詳細についてはこちらをご参照ください。

第14回日本独文学会関東支部研究発表会の開催と発表者募集のお知らせ(12月10日開催)

下記の日程で第14回日本独文学会関東支部研究発表会を開催いたします。

発表ご希望の方は、奮ってご応募くださいますようどうぞよろしくお願い申し上げます

まだ関東支部に加入していない研究者・院生の方々にもお知らせいただけると大変ありがたく存じます。

1.日時:2023年12月10日(日)13:00から(開始時間は変更の可能性あり)

2.会場:早稲田大学早稲田キャンパス 7号館2階 7-205教室
交通アクセス:https://www.waseda.jp/top/access/waseda-campus

3.発表内容・形式

・ドイツ文学・文化・語学・教育・社会に関する研究

・発表時間25分 + 質疑10分(日本独文学会の口頭発表に準じる)

4.応募要領

以下の内容を記し、日本独文学会関東支部:eingang@jgg-kantou.org(@を小文字にしてください)まで、メールにてお申し込みください。

(1)氏名

(2)連絡先(メールアドレス、電話番号)

(3)所属

(4)研究発表表題

(5)発表内容要旨(600字程度) 下記の内容を踏まえて作成してください。

・研究の目的

・先行研究との関連

・主張したいテーゼ

5.発表後、発表要旨は日本独文学会関東支部ホームページ上に公開いたします。

6.締め切り:9月30日(土)

7.結果連絡:10月中旬ごろまでに結果および発表要領の詳細についてお知らせする予定です。

2023年6月22日

<日本独文学会関東支部> (支部長) 若林 恵(支部選出理事)浅井 英樹

(庶務幹事)江口 大輔 前田 佳一(会計幹事)時田 伊津子 (広報幹事)杉山 有紀子

第13回日本独文学会関東支部研究発表会のご案内

下記の日程で第13回日本独文学会関東支部研究発表会を開催いたします。

皆様のご参加を心よりお待ちしております。

日時:2022年12月11日(日)13:00-18:00

開催方法:Zoomによるリアルタイム配信

参加方法関東支部会員の方には会員向けのメーリングリストにて発表会前日までにZoomのミーティングURLを通知いたします。会員でない方は下記リンクのフォームよりお申し込みください。

https://forms.gle/1PsaQi5rHcQfCKZs7

<日本独文学会関東支部>

(支部長) 境 一三(支部選出理事)浅井 英樹

(庶務幹事)江口 大輔 山本 潤

(広報幹事)日名 淳裕(会計幹事)桂 元嗣

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プログラム

12:55 Zoomミーティング開場

13:00 幹事・支部長挨拶

<研究発表の部>

13:10〜13:45  林 明子(中央大学):専門分野における「読みのストラテジー」習得に向けて ― テクスト言語学を援用した試み

13:50〜14:25  山中 慎太郎(東京大学):テクストの<接ぎ木>モデルについて ―『親和力』を植物的に読む

14:30〜15:05  幅野 民生(上智大学): フリードリヒ・シュレーゲル『ギリシア文学の研究について』における初期ロマン派的批評の萌芽

15:05〜15:20  休憩

15:20〜15:55    小池 駿(中央大学):更新されるべき過去 ― フリードリヒ・トーアベルク『ゴーレムの再来』における伝説性、神話性、歴史性の観点からの一考察

16:00~16:35  中村 祐子(東京大学):クリスタ・ヴォルフと「病」―『クリスタ・Tの追想』における混沌と探求の語り

<報告の部>

16:40~17:15  宮崎 裕子(立教大学):IDT Wien 2022 参加報告

17:20 閉会

17:20~18:00 オンライン懇談会

*ご不明な点はeingang@jgg-kantou.org までお寄せください

発表要旨

発表1(語学)林 明子

専門分野における「読みのストラテジー」習得に向けて -テクスト言語学を援用した試み

大学教育の中では、学術言語という言語変種が習得される必要がある(アカデミック・ライティングもその例である)。かつてドイツ語母語話者を読者として想定していた学術ドイツ語の入門書も、近年、DaF/DaZに対象を広げてきており、ドイツ語学習者のためのシリーズDeutsch für das Studium(Klett)なども発行されている。日本語教育分野では、専門的な知識を使いながら文章を理解するストラテジーの習得や、特定の専門分野に焦点を絞った読解ストラテジーを身に付ける教材がある。いずれも、テクスト言語学・文章論・語用論などの研究成果が生かされている。そうした文脈を背景に、本発表では、専門分野の学びという観点からドイツ語テクストの「読み」を考える。専門科目では、一次文献と二次文献との区分も重要である。二次文献では専門知識を得るための媒介言語・メタ言語としてのドイツ語に焦点を当てるが、一次文献ではドイツ語は分析対象の言語でもある。そこで、「分析的読み」という概念を持ち込みながら、語の選択・統語構造・照応関係・文章のマクロ構造などに注目し、ドイツ語から離れない読みのストラテジー習得を目指して論を展開する。テクスト言語学を援用した課題を用いた講読の授業実践について報告し、発展として専門分野の演習への応用を考える。言語自体の分析に取り組む言語学分野のみならず、史料と向き合う歴史学との多分野協働の試みについても言及したい。

(本研究は、科学研究費補助金基盤研究(C)「専門分野の教育を支える言語変種『学術ドイツ語』の習得:「読み」を焦点に」(課題番号20K00844)の研究成果の一部である)

発表2(文学)山中 慎太郎

テクストの〈接ぎ木〉モデルについて――『親和力』を植物的に読む

多くの場合引用というかたちで、あるテクストに異なる文脈を持ち込むような操作を〈接ぎ木〉というモデルで論じることは、夙にジャック・デリダやウーヴェ・ヴィルトらによって行われており、とりわけ後者によって、そこには思想史的な観点も導入されている。一方で、物語の冒頭に登場する〈接ぎ木〉のモチーフがテクストの構造を大きく決定していると思われる小説『親和力』について、作者ゲーテの植物研究にも目くばせをしつつそれを接ぎ木的テクストとして論じるといった研究は、管見の及ぶ限りほとんどない。
キットラーがその沈黙ゆえに〈1800 年の書き取りシステム〉における「言説生産者」と見なし、ベンヤミンがその「植物のごとくおし黙るさま pflanzenhaftes Stummsein」を強調する、小説中の主要な登場人物のひとりオッティーリエは、テクストにおいて植物と結びつけられ、植物的に扱われることによって、絶食し、死亡するにいたるのだが、そのような植物的状態の中で彼女は言葉を奪われてもいるのである。しかしながら、冒頭で印象的に語られる〈接ぎ木〉が、あたかもテクストの水準においても行われるものであるかのように、この小説には異なる文脈をもつテクストとして「日記」が挿入され、「植物的存在」として、テクストの水準では邪険にされるオッティーリエの言葉は、唯一、接ぎ木されたテクストとしての「日記」においてのみ、その場所を得ることができるのである。本発表は〈接ぎ木〉モデルとして読まれうるテクストの一例として、小説『親和力』を以上のような視点から論じる。

発表3(文学)幅野 民生

フリードリヒ・シュレーゲル『ギリシア文学の研究について』における初期ロマン派的批評の萌芽

本発表では若きシュレーゲルの古代文学研究期の主著『ギリシア文学の研究について』(Über das Studium der griechischen Poesie,以下『研究論』と略記する)を初期ロマン派の批評の端緒として分析する。シュレーゲルはこのテクストにおいて,古代文学と近代文学を対比的に捉えることで,互いの特徴を浮き彫りにし,近代文学に方向性を指し示そうとした。そのため『研究論』は,全体のおよそ半分が近代文学についての叙述に割かれることになった。ここでシュレーゲルは,古代文学において完全な統一性を持った美が実現したことを認めつつも,それが「衝動」によってもたらされたものであったために凋落せざるを得なかったと指摘する。一方,近代文学は「断片的」であると同時に,「悟性」によって主導されるが故に「無限に進展する」ことができると主張する。彼によれば古代においては共同体のなかで遍く美が共有されていたため,作品の美を判断する批評家は必要とされていなかった。それに対し,美の規範を喪失した近代において,批評は作品の出来を判断するだけでなく,作品の全体性を捉え,それを完全なものへと導くために,不可欠な営為となるである。本発表では,古代文学との連関において特徴付けられた近代文学がどのように新たな批評を要請したのか考察する。古代研究をシュレーゲルの批評の出発点の一つと見做すことで,後の批評の実践を彼の思想的発展のなかで捉えることが可能となるのである。

発表4(文学)小池 駿

更新されるべき過去 ― フリードリヒ・トーアベルク『ゴーレムの再来』における伝説性、神話性、歴史性の観点からの一考察

本発表では、作家フリードリヒ・トーアベルク(Friedrich Torberg,1908-1979)の小説『ゴーレムの再来(Golems Wiederkehr) 』における伝説性、神話性、歴史性の三点について検証し、更新されるべきものとして「過去」が表象されていることを検討してゆく。
「タルムード」では、神が大地からアダムを生み出す前の胎児が、泥人形となりカバラの呪文によって動き出したとされている。これは後にゴーレムとして伝説化され、とりわけ20世紀のユダヤ的・カバラ的民話伝説における救済への道を示す象徴的なイメージを有した伝説として、例えばG・マイリンクやE・キッシュなどにより描かれた。G・ショーレムは自身のゴーレム研究でこの流れを指摘しているが、現代的な-戦後における各作品の-解釈には言及をしていない。無論ここにはトーアベルクによって新たに創造されたゴーレム伝説も含まれている。つまり、トーアベルクによってショーレム論が「更新」されただけでなく、トーアベルクの新たなゴーレム伝説そのものにも-作中で明示的に言及されているように-「更新されるべき過去」があると認められる。
なおトーアベルクについての論考は戦後オーストリア-とりわけウィーン-における同時期の作家のそれと比較しても、国内ではそう多くないのが現状だ。本発表では同時期におけるトーアベルクの立ち位置を示す試論としても機能させてゆきたい。

発表5(文学)中村 祐子

クリスタ・ヴォルフと「病」―『クリスタ・Tの追想』における混沌と探求の語り

本発表は、クリスタ・ヴォルフ(Christa Wolf: 1929-2011)の『クリスタ・Tの追想Nachdenken über Christa T.』(1968)をアーサー・W・フランクの『傷ついた物語の語り手』(1995)における語りの分類を用いて、クリスタ・Tではなく「私」の「病」の物語として読み直す試みである。これまで、この小説は、女性の社会主義社会への不適応、または自己実現の試みとその失敗を「主観的真正性」という新しい手法を使って描いたと解釈されてきた。

一人称の語り手である「私」を前景化すれば、この小説は二重の「病」の枠組を持っている。友人が35歳という若さで亡くなったことで「私」は抑鬱状態にあった。その大きな「病」の枠組みの中にクリスタ・Tの2回の鬱病と白血病という「病」が入れ子式に描かれる。フランクは臨床医学の観点から病の語りを「回復の語り」「混沌の語り」「探求の語り」の3つに分類している。「私」の語りは、「混沌の語り」と「探求の語り」の混合型であると見なせる。

「私」はクリスタ・Tの生を「書かなかった詩人」として描こうとした。そのためクリスタ・Tは社会主義社会に生きた女性の等身大の姿と詩人という二面性を持つことになった。その断片の集合体のような語りは「混沌の語り」といえる。語り直しながら、最終的に「死」を受け入れていく方向性は「探求の語り」である。本来「混沌の語り」は病者自身が「語れない」とされている。ヴォルフがどのようにそれを言語化したのかに着目して論じる。

報告1(ドイツ語教育)宮崎 裕子

IDT Wien 2022 参加報告

本発表は、2022年8月15-20日にウィーン大学およびオンラインで開催された第17回国際ドイツ語教員会議(IDT)の参加報告である。本会議はパンデミックの影響で一年延期され、スイスのフライブルクで行われた前回会議以来、5年ぶりの開催となった。実行委員会の集計によると、今会議の参加総数は世界110の国と地域から2747名にも上ったそうだ。このように長い開催歴を持つ大規模な専門会議ではあるが、ドイツ語教育関係者に普く知れ渡っているとは言えないのが現状である。報告者は、今会議でIDTから奨学金を受けて研究発表を行った234名のうちの一人として開催内容の紹介および報告を行うことで、より多くのドイツ語教育関係者がIDTについて知り、各自の研究、発表、交流の場として今後の開催に興味関心を抱けるよう努める。まず、会議の多彩なプログラム構成を概観し、次に報告者が参加したドイツ語圏言語文化の教授法理論および授業実践に関する研究発表・講演・文化行事の具体的内容を報告する。その際、「多言語・複言語」に視点を据え、今会議を貫く標語(Motto)„mit.sprache.teil.haben"がどのように反映されていたかを振り返る。最後に、閉会式で採択された言語政策提言(sprachpolitische Thesen)の意義を確認し、2025年7月28日-8月1日にリューベック/キールで開催される第18回会議への引き継ぎについて報告する。

 

第13回日本独文学会関東支部研究発表会の開催と発表者募集のお知らせ(12月11日開催)

下記の日程で第13回日本独文学会関東支部研究発表会をオンラインにて開催いたします。

発表ご希望の方は、奮ってご応募くださいますようどうぞよろしくお願い申し上げます

まだ関東支部に加入していない研究者・院生の方々にもお知らせいただけると大変ありがたく存じます。

1.日時:2022年12月11日(日)13:00から(開始時間は変更の可能性あり)

2.方式:ビデオ会議システムZoomによる同時双方向型

3.発表内容・形式

・ドイツ文学・文化・語学・教育・社会に関する研究

・発表時間25分 + 質疑10分(日本独文学会の口頭発表に準じる)

・研究発表会の最後に懇談会を予定しています。

4.応募要領

以下の内容を記し、日本独文学会関東支部:eingang@jgg-kantou.org(@を小文字にしてください)まで、メールにてお申し込みください。

(1)氏名

(2)連絡先(メールアドレス、電話番号)

(3)所属

(4)研究発表表題

(5)発表内容要旨(600字程度) 下記の内容を踏まえて作成してください。

・研究の目的

・先行研究との関連

・主張したいテーゼ

5.発表後、発表要旨は日本独文学会関東支部ホームページ上に公開いたします。

6.締め切り:9月30日(金)

7.結果連絡:10月中旬ごろまでに結果および発表要領の詳細についてお知らせする予定です。

2022年6月20日

<日本独文学会関東支部> (支部長) 境 一三(支部選出理事)浅井 英樹

(庶務幹事)江口 大輔 山本 潤(会計幹事)桂 元嗣 (広報幹事)日名 淳裕

2022年度関東支部オンライン総会開催のお知らせ

日本独文学会関東支部会員各位

日頃より関東支部の活動にご協力を賜り、ありがとうございます。

関東支部では来る6月12日(日)にオンライン総会を行います。

日時:6月12日(日)11:00〜11:30

開催方法:Zoomによるリアルタイム配信

参加方法:会員向けのメーリングリストにてZoomのミーティングURLを通知いたします。

 

【プログラム】

1.報告事項:2021年度活動報告

・庶務、会計、広報

・その他

2.審議事項:2022年度活動方針

・2022年度予算案

・2022年度研究発表会

・2023年度幹事選挙

・その他

 

・ご不明な点はeingang@jgg-kantou.org までお寄せください。

以上よろしくお願いいたします。

日本独文学会関東支部 幹事一同

第12回日本独文学会関東支部研究発表会のご案内

下記の日程で第12回日本独文学会関東支部研究発表会を開催いたします。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。

日時:2021年12月12日(日)13:00-16:10

開催方法:Zoomによるリアルタイム配信

参加方法:関東支部会員の方には会員向けのメーリングリストにて発表会前日までにZoomのミーティングURLを通知いたします。会員でない方は、下記リンクのフォームよりお申し込みください。

*ご不明な点はeingang@jgg-kantou.org までお寄せください

<日本独文学会関東支部>

(支部長) 境一三(支部選出理事)浅井英樹(庶務幹事)江口大輔 山本潤

(広報幹事)日名 淳裕(会計幹事)桂 元嗣

 

プログラム

12:55  Zoomミーティング開場

13:00  幹事・支部長挨拶

13:10〜13:45  伊藤港(学習院大学):Absentiv(不在構文)の用法について

13:50〜14:25  森下勇矢(東京大学):道化服と悪魔 ―『阿呆物語』にみる愚者から悪漢への変貌

14:25〜14:50    休憩

14:50〜15:25    相馬尚之(東京大学):心身一元論から「原-自我」へ ―1920年代におけるデーブリーンの自然哲学

15:30〜16:05    前田佳一(お茶の水女子大学):インゲボルク・バッハマンの短編集『三十歳』における固有名の機能

16:10  閉会

発表要旨

発表1(語学)伊藤港

Absentiv(不在構文)の用法について

本発表では、Absentiv(不在構文)が背景描写や様子を表現するフランス語の半過去形と似ている点を明らかにし、ドイツ語にはないとされている新たな時制である未完了相を形成している可能性を検証する。Absentiv (不在構文) とは、以下の例の通りである。

(例) Er war einkaufen. 彼は買い物に行っていた。

ドイツ語のAbsentiv (不在構文) とは、 (sein + 不定詞) の形で作られるものであり、de Groot (2000) で初めて説明がなされている。この構文は、主語の不在を意味するものあり、日本語で「○○をしに行っている/ いた」と訳すことができ、進行形的な表現だと考えられる。だが、日本にあるほとんどの文法書や教科書に記載されていないのである。また、先行研究ではVendler (1967) の動詞分類に従って、Absentivを構成する動詞の種類分けのみが行われており、コンテクスト、アスペクト、分離動詞、動詞の目的語の冠詞などについて十分に考察されていない。しかし、マンハイムのドイツ語研究 (Institut für Deutsche Sprache, Mannheim; IDS) のCOSMASⅡ (検索システム) でコーパスを検索し分析した結果、先行研究に挙げられていなかった Absentiv に使われる動詞や接続法2式の形もいくつか発見することができた。またコンテクストに注目すると、文中に現れるAbsentiv は「主語が話の中心地にいない」というVogel (2007) などで述べられていた元々の不在の意味だけではなく、補足的情報、背景部の記述をする機能も持ち合わせていると考えられる例文がいくつもあった。そのため、Absentiv がドイツ語の今までになかった時制である未完了を表現する構文である可能性があり、それがフランス語の半過去形の表現に類似している。フランス語の半過去形は、過去のある時点での行為、状態をまだ完了していない進行中のものとして表現し、継続、習慣、反復、描写などの多彩な用法を持っているものである。

 

発表2(文学)森下勇矢

道化服と悪魔

『阿呆物語』にみる愚者から悪漢への変貌

ドイツ近世の諷刺作品や謝肉祭劇で多く見られた道化の形象と結びつくのは、彼らを指す語「Narr」が示す通り、人間の「愚」の概念である。この「愚者概念Narrenidee」はセバスティアン・ブラント(Sebastian Brant, 1457-1521)の『阿呆船』(Das Narrenschiff, 1494)に代表される「愚者文学」の根幹をなすものであった。そして、ブラントに続くトーマス・ムルナー(Thomas Murner, 1475-1537)やデジデリウス・エラスムス(Desiderius Erasmus, 1466-1536)を始めとする多くの愚者文学作家に連なるのが、バロック期の諷刺作家ハンス・ヤーコプ・クリストッフェル・フォン・グリンメルスハウゼン(Hans Jakob Christoffel von Grimmelshausen, 1622-1676)である。本研究では、グリンメルスハウゼンの代表作『阿呆物語』(Der Abentheuerliche Simplicissimus Teutsch, 1668)を取り上げ、この作品が内包する愚者概念と主人公ジンプリチウスが持つ道化性を明らかにすることを試みる。

ジーン・シリンガーはジンプリチウスが持つ純真さの源である「単純さsimplicitas」と対をなす愚かさを「ストゥルティティアstultitia」とした上で、これら二つの愚がジンプリチウスの中で互いにぶつかりあうと述べる。(Schillinger, 2007) 否定的愚である「stultitia」は、すでに旧約聖書の中で「賢sapiens」と対置されて扱われた概念であるが、これは罪に陥る人間の根本要因となるものであり、ジンプリチウスを「徐々に悪徳へと導いていく」(Moll, 2015)。本研究ではシリンガーの論じる愚の対立構造をふまえつつ、「simplicitas」によって無垢な状態にあった少年ジンプリチウスが職業道化となったのち、「悪魔の模倣imitatio diaboli」を行いつつ「stultitia」にのまれていくプロセスに分析の焦点を置く。ジンプリチウスの悪漢への変容が、彼の道化性と愚の相互作用によって引き起こされるというテーゼを立て、中世以降の神学的議論に鑑みながらこの検証を行う。

 

発表3(文学)相馬尚之

心身一元論から「原-自我」へ

――1920年代におけるデーブリーンの自然哲学

本発表は、ドイツ人作家アルフレート・デーブリーン(Alfred Döblin 1878-1957)の1920年代の自然哲学について、当時の一元論思想との関係から論じる。デーブリーンは文学的評価が先行しているが、近年では彼の精神科医としての経歴や自然哲学、その小説との関係も注目されている。

本発表では、まずデーブリーンのエッセー「自然とその魂」(„Die Natur und ihre Seelen“ 1922)を取り上げ、その万物の魂(Allbeseeltheit)の構想について同時代の生物学者エルンスト・ヘッケル(Ernst Haeckel 1834-1919)の一元論的世界観との相似から論じる。だがこれは自然科学からの逸脱に留まらない。科学との調停を目指す一元論思想は19世紀後半に「心的素材理論(Mind-Stuff Theory)」を発展させており、微細な原子にも魂が宿るとする主張は、アメリカの心理学者ウィリアム・ジェイムズ(William James 1842-1910)が論じたように、進化論の時代における一元論の不可避的要請であった。

しかしデーブリーンは、『自然を超える自我』(Das Ich über der Natur, 1927)において自我の分類のみならず「原-自我(Ur-Ich)」の導入により、世界内の個体の再評価を試みる。精神物理学の影響を残すデーブリーンの折衷的自然哲学からは、心身一元論の葛藤――精神の物質的還元と物質自体の精神化――が明らかになるのだ。

 

発表4(文学)前田佳一

インゲボルク・バッハマンの短編集『三十歳』における固有名の機能

1960年に「名前との付き合い」と題した詩学講義を行ったことからわかるようにインゲボルク・バッハマンは文学作品における固有名というテーマに強い関心を有していた。発表者は前田(2019)においてDebus(2012)による文学的固有名の機能類型を応用してバッハマン作品における地名の機能を分析し、バッハマンが固有名の「アウラ」による錯覚形成機能を批判的に捉え、それを無効化・脱魔術化しようとしていたことを明らかにした。

本発表ではそれを引き継ぎ、短編集『三十歳』(1961)収録の諸作品における人物名の機能を考察する。上記詩学講義では文学史上の有名作品における人名が有していたアウラの「壊死」について言及されるが、それに呼応するかのように同短編集における登場人物の名称は多くの場合(「三十歳」のモル、エレーナ、レーニ、ヘレーナ、「すべて」のフィップス、「ウンディーネが行く」のハンス等)固有性を喪失した陳腐で類型的な名として登場する一方で、物語中重要な役割を果たす人物たち(「三十歳」の名前のない女と運転手、「人殺しと狂人たちのあいだで」における見知らぬ男等)には名前がつけられることはなく、匿名のまま作中で言及される。こうした人名の無意味化と匿名化は既にみた地名の脱魔術化と符合しているが、同作品集はそれにとどまらず、語り手の「私(Ich)」という名をも無効化する契機を含んでおり(「オーストリアの町での子ども時代」「三十歳」等)、あらゆる名称のアウラを無効化せんとするバッハマンの志向がここに見て取れることを本発表は最終的に指摘する。