共苦の人・ゲルダ・ブッデンブローク ――『ビルゼと私』をもとにして

発表者
別府陽子
日時:
2020年12月13日
場所:
オンライン

発表要旨:

トーマス・マン作『ブッデンブローク家の人々』の3代目トーマスの妻ゲルダは、美しく、ヴァイオリンを弾く芸術家気質の女性である。先行研究では、ゲルダは音楽で一族を没落に導く役割をもつといわれ、目元の翳や冷たいという叙述から、ゲルダは愛する能力がなく、自己の意志と幸福を優先すると論じられている。しかしこの見方からは、第10部で世間の人々がトーマスとゲルダの夫婦を、礼儀正しく互いを思いやり、かばい合う関係にあると感じることを説明できない。

マンはエッセイ『ビルゼと私』で、認識する芸術家に人間としての一面があることを記している。ゲルダは、芸術家としては、夫や義弟を観察して市民でないというが、人間としては、息子を思いやり、才能を理解する母であり、家業に必要な社交を為し、夫をいたわり、共に読書をする妻である。夫との「音楽的価値」をめぐる唯一の口論でも、ゲルダは夫の芸術的感性を認めたうえで、音楽的感性のみ劣るという。

またゲルダは、トーニの「私を嫌っていたわよね」に言い返さず、姪の婿の「ヴァイオリンのご機嫌」を伺う陳腐な挨拶に何も言わず、常に他者を非難しない。

 

夫が路上に倒れたとき、ゲルダが身を震わせてトーニにいう言葉、「……ひどいわ、侮辱だわ…」は、夫の努力と苦しみを認識して我が事として共に苦しむゲルダの思いやりと同情(共苦)の言葉である。