「権力、権力の作用、そして権力によって抑圧された人間の行動の研究」 ――クリスタ・ヴォルフ『メデイア―さまざまな声』におけるアガメダの選択

発表者
中村祐子
日時:
2025年12月20日
場所:
東京大学

発表要旨:

 本発表は、クリスタ・ヴォルフの『メデイア―さまざまな声』(1996)に登場するアガメダに焦点を当て、なぜ彼女が「師」であるメデイアを陥れる選択をしたのかを、1990年代前半のドイツの状況を踏まえて考察する。
 この小説は、『カッサンドラ』(1983)に続く2つめのギリシア神話・悲劇を素材とした作品であり、どちらも支配的イデオロギーに抗する女性キャラクターの再解釈であるが、ドイツ統一を挟み、政治的・社会的背景が大きく異なる。これまで、メデイア像の系譜への位置づけとポストコロニアリズム(Hilzinger;Pizer)、『残るものは何か』(1990)出版後のヴォルフへのバッシングと「スケイプ・ゴート」のモチーフ(保坂)、複数の登場人物による内的独白の語り(Opitz-Wiemers)、といった3つの観点から主に論じられてきた。アガメダの行動はイアソンへの失恋とメデイアへの嫉妬に起因し、メデイアを理解するための1つのファクターとみなされてきた。しかし、マーガレット・アトウッドが英語版に寄せた序文に着目すると、この小説は「権力の作用についての研究」であり、アガメダは、権力中枢にすり寄るための「マキアベリアン・ダンス」に自ら加わったと言える。
 アガメダは、故国で学び「治療師/医師Heilerin」という専門職に就いたという自負を語る。ヴォルフは、「難民」と「女性」という二重に抑圧された存在であるアガメダに「声」を与えた。このアガメダの人生の選択を分析することで、彼女の姿にドイツ統一後の東ドイツ女性たちが新たに直面した「生きづらさ」が表現されていることを明らかにする。