- 発表者
- 前田佳一
- 日時:
- 2021年12月12日
- 場所:
- オンライン
インゲボルク・バッハマンの短編集『三十歳』における固有名の機能
- 発表要旨:
1960年に「名前との付き合い」と題した詩学講義を行ったことからわかるようにインゲボルク・バッハマンは文学作品における固有名というテーマに強い関心を有していた。発表者は前田(2019)においてDebus(2012)による文学的固有名の機能類型を応用してバッハマン作品における地名の機能を分析し、バッハマンが固有名の「アウラ」による錯覚形成機能を批判的に捉え、それを無効化・脱魔術化しようとしていたことを明らかにした。
本発表ではそれを引き継ぎ、短編集『三十歳』(1961)収録の諸作品における人物名の機能を考察する。上記詩学講義では文学史上の有名作品における人名が有していたアウラの「壊死」について言及されるが、それに呼応するかのように同短編集における登場人物の名称は多くの場合(「三十歳」のモル、エレーナ、レーニ、ヘレーナ、「すべて」のフィップス、「ウンディーネが行く」のハンス等)固有性を喪失した陳腐で類型的な名として登場する一方で、物語中重要な役割を果たす人物たち(「三十歳」の名前のない女と運転手、「人殺しと狂人たちのあいだで」における見知らぬ男等)には名前がつけられることはなく、匿名のまま作中で言及される。こうした人名の無意味化と匿名化は既にみた地名の脱魔術化と符合しているが、同作品集はそれにとどまらず、語り手の「私(Ich)」という名をも無効化する契機を含んでおり(「オーストリアの町での子ども時代」「三十歳」等)、あらゆる名称のアウラを無効化せんとするバッハマンの志向がここに見て取れることを本発表は最終的に指摘する。