- 発表者
- 森下勇矢
- 日時:
- 2021年12月12日
- 場所:
- オンライン
道化服と悪魔 ―『阿呆物語』にみる愚者から悪漢への変貌
- 発表要旨:
ドイツ近世の諷刺作品や謝肉祭劇で多く見られた道化の形象と結びつくのは、彼らを指す語「Narr」が示す通り、人間の「愚」の概念である。この「愚者概念Narrenidee」はセバスティアン・ブラント(Sebastian Brant, 1457-1521)の『阿呆船』(Das Narrenschiff, 1494)に代表される「愚者文学」の根幹をなすものであった。そして、ブラントに続くトーマス・ムルナー(Thomas Murner, 1475-1537)やデジデリウス・エラスムス(Desiderius Erasmus, 1466-1536)を始めとする多くの愚者文学作家に連なるのが、バロック期の諷刺作家ハンス・ヤーコプ・クリストッフェル・フォン・グリンメルスハウゼン(Hans Jakob Christoffel von Grimmelshausen, 1622-1676)である。本研究では、グリンメルスハウゼンの代表作『阿呆物語』(Der Abentheuerliche Simplicissimus Teutsch, 1668)を取り上げ、この作品が内包する愚者概念と主人公ジンプリチウスが持つ道化性を明らかにすることを試みる。
ジーン・シリンガーはジンプリチウスが持つ純真さの源である「単純さsimplicitas」と対をなす愚かさを「ストゥルティティアstultitia」とした上で、これら二つの愚がジンプリチウスの中で互いにぶつかりあうと述べる。(Schillinger, 2007) 否定的愚である「stultitia」は、すでに旧約聖書の中で「賢sapiens」と対置されて扱われた概念であるが、これは罪に陥る人間の根本要因となるものであり、ジンプリチウスを「徐々に悪徳へと導いていく」(Moll, 2015)。本研究ではシリンガーの論じる愚の対立構造をふまえつつ、「simplicitas」によって無垢な状態にあった少年ジンプリチウスが職業道化となったのち、「悪魔の模倣imitatio diaboli」を行いつつ「stultitia」にのまれていくプロセスに分析の焦点を置く。ジンプリチウスの悪漢への変容が、彼の道化性と愚の相互作用によって引き起こされるというテーゼを立て、中世以降の神学的議論に鑑みながらこの検証を行う。