- 発表者
- 小野二葉
- 日時:
- 2020年12月13日
- 場所:
- オンライン
声の遠近――川上弘美『真鶴』の日独話法比較
- 発表要旨:
文学作品の話法の翻訳に関する研究は、現在までのところ純粋に技法的な領域に限定されており、作品の語りの問題と有機的に関連づけられているとはいいがたい。翻訳においてはしばしば話法の変更が行われるが、このことはしかし、翻訳の巧拙という視点のみならず、語りの「声」の変更という視点からも考察されるべきである。
本研究では、異なる言語間の比較を可能にするために、話法を「語り」と「語られる物語世界」の間の距離を表すものとして捉え、川上弘美『真鶴』の日本語原典とドイツ語翻訳における語りの声を比較する。『真鶴』の物語世界は、一人称の語り手「わたし(ich)」によって語られるが、「わたし」の「声」はそれ自体で独立した語りの地位を占めているのではなく、他の登場人物の「声」と近づいたり遠ざかったりする、その関係を通じて立ちあがってくる。話法の区別が流動的な日本語テクストでは、したがって声の遠近も流動的になり、一方、話法の区別が比較的明確なドイツ語テクストでは、話法の訳し分けによって距離の変化のダイナミズムが生じることを、本研究は明らかにする。このことはしかし、異言語間における語りの(正確な)翻訳の不可能性を示唆するというよりむしろ、テクスト間の声がお互いに関連し、影響し合う異文化間対話、すなわち翻訳は、声の多重性という点で小説言語そのものと本質を同じくしていることを示唆しているのだろう。