第14回日本独文学会関東支部研究発表会のご案内

下記の日程で第14回日本独文学会関東支部研究発表会を開催いたします。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。

日時:2023年12月10日(日)15:00~17:15
場所:早稲田大学早稲田キャンパス 7号館2階 7-205教室
参加費:関東支部会員は無料、非会員は500円

プログラムと発表要旨のダウンロード:第14回日本独文学会関東支部研究発表会

 

プログラム

15:00〜15:05 開会の挨拶
15:10〜15:45 木戸繭子
トーマス・マンの最初の短編作品「幻想」における身体表象
15:55〜16:30 内田賢太郎
ベルリンのユンガー 大都市体験と立体鏡的知覚をめぐって
16:30~16:40 休憩
16:40〜17:15 鈴木佑紀乃
アルフレート・デーブリーン『ベルリン・ アレクサンダー広場』における発話行為について
17:15 閉会の挨拶

(ご連絡)
当日、新規入会申し込みおよび会費(年会費500円)の納入ができます。

<日本独文学会関東支部> (支部長) 若林 恵(支部選出理事)浅井 英樹
(庶務幹事)江口 大輔 前田 佳一(会計幹事)時田 伊津子
(広報幹事)杉山 有紀子

 

会場のご案内
早稲田大学早稲田キャンパス 7号館2階 7-205教室

交通アクセス
JR 山手線 高田馬場駅から徒歩20分
西武鉄道 西武新宿線 高田馬場駅から徒歩20分
東京メトロ 東西線 早稲田駅から徒歩5分
東京メトロ副都心線 西早稲田駅から徒歩17分

住所
〒169-8050 新宿区西早稲田1-6-1

早稲田大学交通案内URL
https://www.waseda.jp/top/access/waseda-campus

 

発表要旨

発表1(文学)木戸繭子
トーマス・マンの最初の短編作品「幻想」における身体表象

本発表では、トーマス・マン(1875-1955)の最初の短編散文作品「幻想」(Vision)における身体表象を検討し、その創作活動の最初期から、「危機にさらされる身体」がマンの文学的創作における問題意識の中心に存在していたことを示す。
このごく短い作品は1893年に学生雑誌『春の嵐』に掲載された。この雑誌は、18歳のマン自身が編集し、またそこにおいて作品を発表して作家としてのキャリアを開始したものであるが、そのうちの一つのテクストがこの「幻想」であった。この作品においては語り手の「私」があるエロティックな幻想を経験する。この作品はこれまで十分な研究がなされてきたとは言えないものの、モチーフの点においてはE.T.Aホフマンやテオドール・シュトルムなどの影響、その後のマンの作品におけるモチーフとの関連、そして、ユーゲント・シュティルや、ヴィーナー・モデルネとの関連で論じられてきた。たしかにこの短編作品は、その献辞が明らかにしているように、神経ないし感覚に重点が置かれる点においては、自然主義を「神経的ロマン主義」あるいは「神経の神秘主義」によって克服するという論を展開するヘルマン・バールの影響が大きい。しかしながらこのマンのテクストにおいては、それに加えて身体が危機にさらされる局面が特徴的に見出される。エロティシズムによって神経が解き放たれながらも、それは語り手を解放するものではなく、欲望の主体たる語り手の身体に苦痛を与えるものであり、一方で欲望の客体もまた苦痛を与えられ、そして、その身体は断片として提示される。この、エロティックなものによって惹起される身体の危機こそがこの作品の中心的なテーマなのである。

発表2(文学)内田賢太郎
ベルリンのユンガー 大都市体験と立体鏡的知覚をめぐって

本発表ではエルンスト・ユンガーの大都市体験が、彼の独自の知覚論、立体鏡的知覚へ与えた影響を扱う。ユンガーは1927年にライプツィヒからベルリンへ生活の拠点を移す。大都市体験はこの頃の思索日記風のエッセー『冒険心 第一稿』に散発的に描かれているが、そこに共通して表れているのは、技術への恐怖と魅惑の入り混じった関心である。
ジェフリー・ハーフはこのアンビバレントな姿勢を、都市と戦争を同一視し、都市を賛美しつつ恐怖に浸り、価値も美も見出すゆえであり、反動的モダニズムの典型例と指摘する。
対してトーマス・キーリンガーは、ユンガーにおいて魅惑と恐怖が重なる点を分析しつつ、20年代のユンガーが取り組んでいた夢というモティーフと都市論の関連性から、戦争で体験した生の知覚が彼の都市論には変わらずに見られることを論じる。ノルベルト・シュタゥプはこの夢モティーフとの連関を更に掘り下げ、そこにカタストロフへの不安を指摘した上で、都市には麻痺の作用があること、ユンガーの知覚はその麻痺からの脱却を可能にしうることを論じている。
本発表はこの後者2人の論を引き継ぎ、まだ十分に論じられてきたとは言いがたいユンガーにおける都市空間の意味を、知覚論の観点から見ることを目的とする。ユンガーの都市論の分析を通じて、ユンガーが都市をカタストロフが常態化した悪夢的空間と捉えていること、都市の麻痺の作用からの脱却ではなくむしろ能動的な没入を目指し、それによって注意力の散漫と集中の二重の知覚を求めること、この知覚によって都市は生のアレゴリー的空間として表れることを論じてゆく。

発表3(文学)鈴木佑紀乃
アルフレート・デーブリーン『ベルリン・アレクサンダー広場』における発話行為について

デーブリーンの長編『ベルリン・アレクサンダー広場』は、1920年代のベルリンで暮らす主人公、ビーバーコプフの受難を描いた物語である。彼は刑務所から出所するとひとかどの人物として生きようとするも失敗し、都市群衆の中に埋没する。このような挑戦と挫折は彼の行う発話にも反映されている。彼は物語冒頭で、あるユダヤ人から、弁舌の巧みさで財を成したツァノーヴィッヒという人物とその息子についての物語を教えられる。このことがきっかけで彼は弁舌の巧みな人物に憧れ、自身もそうなろうと試みるが上手くいかない。ビーバーコプフは様々な不運に見舞われると絶望して、意識を失い生死の境をさまよう。そこで彼は冥界の死神に出会い、それまでの生き方を反省する。その後回復すると、彼は再びベルリンへ戻ってくるが、群衆に溶け込み、発話に消極的になっている。こうしたビーバーコプフによる発話の傾向と変化、そしてその意味づけは、先行研究ではほとんど注目されておらず、本作での言葉を用いた伝達行為に関する研究の多くは、モンタージュという物語の語りに関する技法に焦点を当てられている。
本発表は、作品の主人公ビーバーコプフによる発話行為の変容を、作品全体の構成の中で検討することを目的としている。彼の発話にみられる傾向や、物語冒頭でツァノーヴィッヒの物語が彼に与えた影響などについて論じ、彼の発話行為には大都市における構築(Aufbau)と崩壊(Zerfall)の対立が背景にあると考えられることを示す。