第13回日本独文学会関東支部研究発表会のご案内

下記の日程で第13回日本独文学会関東支部研究発表会を開催いたします。

皆様のご参加を心よりお待ちしております。

日時:2022年12月11日(日)13:00-18:00

開催方法:Zoomによるリアルタイム配信

参加方法関東支部会員の方には会員向けのメーリングリストにて発表会前日までにZoomのミーティングURLを通知いたします。会員でない方は下記リンクのフォームよりお申し込みください。

https://forms.gle/1PsaQi5rHcQfCKZs7

<日本独文学会関東支部>

(支部長) 境 一三(支部選出理事)浅井 英樹

(庶務幹事)江口 大輔 山本 潤

(広報幹事)日名 淳裕(会計幹事)桂 元嗣

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プログラム

12:55 Zoomミーティング開場

13:00 幹事・支部長挨拶

<研究発表の部>

13:10〜13:45  林 明子(中央大学):専門分野における「読みのストラテジー」習得に向けて ― テクスト言語学を援用した試み

13:50〜14:25  山中 慎太郎(東京大学):テクストの<接ぎ木>モデルについて ―『親和力』を植物的に読む

14:30〜15:05  幅野 民生(上智大学): フリードリヒ・シュレーゲル『ギリシア文学の研究について』における初期ロマン派的批評の萌芽

15:05〜15:20  休憩

15:20〜15:55    小池 駿(中央大学):更新されるべき過去 ― フリードリヒ・トーアベルク『ゴーレムの再来』における伝説性、神話性、歴史性の観点からの一考察

16:00~16:35  中村 祐子(東京大学):クリスタ・ヴォルフと「病」―『クリスタ・Tの追想』における混沌と探求の語り

<報告の部>

16:40~17:15  宮崎 裕子(立教大学):IDT Wien 2022 参加報告

17:20 閉会

17:20~18:00 オンライン懇談会

*ご不明な点はeingang@jgg-kantou.org までお寄せください

発表要旨

発表1(語学)林 明子

専門分野における「読みのストラテジー」習得に向けて -テクスト言語学を援用した試み

大学教育の中では、学術言語という言語変種が習得される必要がある(アカデミック・ライティングもその例である)。かつてドイツ語母語話者を読者として想定していた学術ドイツ語の入門書も、近年、DaF/DaZに対象を広げてきており、ドイツ語学習者のためのシリーズDeutsch für das Studium(Klett)なども発行されている。日本語教育分野では、専門的な知識を使いながら文章を理解するストラテジーの習得や、特定の専門分野に焦点を絞った読解ストラテジーを身に付ける教材がある。いずれも、テクスト言語学・文章論・語用論などの研究成果が生かされている。そうした文脈を背景に、本発表では、専門分野の学びという観点からドイツ語テクストの「読み」を考える。専門科目では、一次文献と二次文献との区分も重要である。二次文献では専門知識を得るための媒介言語・メタ言語としてのドイツ語に焦点を当てるが、一次文献ではドイツ語は分析対象の言語でもある。そこで、「分析的読み」という概念を持ち込みながら、語の選択・統語構造・照応関係・文章のマクロ構造などに注目し、ドイツ語から離れない読みのストラテジー習得を目指して論を展開する。テクスト言語学を援用した課題を用いた講読の授業実践について報告し、発展として専門分野の演習への応用を考える。言語自体の分析に取り組む言語学分野のみならず、史料と向き合う歴史学との多分野協働の試みについても言及したい。

(本研究は、科学研究費補助金基盤研究(C)「専門分野の教育を支える言語変種『学術ドイツ語』の習得:「読み」を焦点に」(課題番号20K00844)の研究成果の一部である)

発表2(文学)山中 慎太郎

テクストの〈接ぎ木〉モデルについて――『親和力』を植物的に読む

多くの場合引用というかたちで、あるテクストに異なる文脈を持ち込むような操作を〈接ぎ木〉というモデルで論じることは、夙にジャック・デリダやウーヴェ・ヴィルトらによって行われており、とりわけ後者によって、そこには思想史的な観点も導入されている。一方で、物語の冒頭に登場する〈接ぎ木〉のモチーフがテクストの構造を大きく決定していると思われる小説『親和力』について、作者ゲーテの植物研究にも目くばせをしつつそれを接ぎ木的テクストとして論じるといった研究は、管見の及ぶ限りほとんどない。
キットラーがその沈黙ゆえに〈1800 年の書き取りシステム〉における「言説生産者」と見なし、ベンヤミンがその「植物のごとくおし黙るさま pflanzenhaftes Stummsein」を強調する、小説中の主要な登場人物のひとりオッティーリエは、テクストにおいて植物と結びつけられ、植物的に扱われることによって、絶食し、死亡するにいたるのだが、そのような植物的状態の中で彼女は言葉を奪われてもいるのである。しかしながら、冒頭で印象的に語られる〈接ぎ木〉が、あたかもテクストの水準においても行われるものであるかのように、この小説には異なる文脈をもつテクストとして「日記」が挿入され、「植物的存在」として、テクストの水準では邪険にされるオッティーリエの言葉は、唯一、接ぎ木されたテクストとしての「日記」においてのみ、その場所を得ることができるのである。本発表は〈接ぎ木〉モデルとして読まれうるテクストの一例として、小説『親和力』を以上のような視点から論じる。

発表3(文学)幅野 民生

フリードリヒ・シュレーゲル『ギリシア文学の研究について』における初期ロマン派的批評の萌芽

本発表では若きシュレーゲルの古代文学研究期の主著『ギリシア文学の研究について』(Über das Studium der griechischen Poesie,以下『研究論』と略記する)を初期ロマン派の批評の端緒として分析する。シュレーゲルはこのテクストにおいて,古代文学と近代文学を対比的に捉えることで,互いの特徴を浮き彫りにし,近代文学に方向性を指し示そうとした。そのため『研究論』は,全体のおよそ半分が近代文学についての叙述に割かれることになった。ここでシュレーゲルは,古代文学において完全な統一性を持った美が実現したことを認めつつも,それが「衝動」によってもたらされたものであったために凋落せざるを得なかったと指摘する。一方,近代文学は「断片的」であると同時に,「悟性」によって主導されるが故に「無限に進展する」ことができると主張する。彼によれば古代においては共同体のなかで遍く美が共有されていたため,作品の美を判断する批評家は必要とされていなかった。それに対し,美の規範を喪失した近代において,批評は作品の出来を判断するだけでなく,作品の全体性を捉え,それを完全なものへと導くために,不可欠な営為となるである。本発表では,古代文学との連関において特徴付けられた近代文学がどのように新たな批評を要請したのか考察する。古代研究をシュレーゲルの批評の出発点の一つと見做すことで,後の批評の実践を彼の思想的発展のなかで捉えることが可能となるのである。

発表4(文学)小池 駿

更新されるべき過去 ― フリードリヒ・トーアベルク『ゴーレムの再来』における伝説性、神話性、歴史性の観点からの一考察

本発表では、作家フリードリヒ・トーアベルク(Friedrich Torberg,1908-1979)の小説『ゴーレムの再来(Golems Wiederkehr) 』における伝説性、神話性、歴史性の三点について検証し、更新されるべきものとして「過去」が表象されていることを検討してゆく。
「タルムード」では、神が大地からアダムを生み出す前の胎児が、泥人形となりカバラの呪文によって動き出したとされている。これは後にゴーレムとして伝説化され、とりわけ20世紀のユダヤ的・カバラ的民話伝説における救済への道を示す象徴的なイメージを有した伝説として、例えばG・マイリンクやE・キッシュなどにより描かれた。G・ショーレムは自身のゴーレム研究でこの流れを指摘しているが、現代的な-戦後における各作品の-解釈には言及をしていない。無論ここにはトーアベルクによって新たに創造されたゴーレム伝説も含まれている。つまり、トーアベルクによってショーレム論が「更新」されただけでなく、トーアベルクの新たなゴーレム伝説そのものにも-作中で明示的に言及されているように-「更新されるべき過去」があると認められる。
なおトーアベルクについての論考は戦後オーストリア-とりわけウィーン-における同時期の作家のそれと比較しても、国内ではそう多くないのが現状だ。本発表では同時期におけるトーアベルクの立ち位置を示す試論としても機能させてゆきたい。

発表5(文学)中村 祐子

クリスタ・ヴォルフと「病」―『クリスタ・Tの追想』における混沌と探求の語り

本発表は、クリスタ・ヴォルフ(Christa Wolf: 1929-2011)の『クリスタ・Tの追想Nachdenken über Christa T.』(1968)をアーサー・W・フランクの『傷ついた物語の語り手』(1995)における語りの分類を用いて、クリスタ・Tではなく「私」の「病」の物語として読み直す試みである。これまで、この小説は、女性の社会主義社会への不適応、または自己実現の試みとその失敗を「主観的真正性」という新しい手法を使って描いたと解釈されてきた。

一人称の語り手である「私」を前景化すれば、この小説は二重の「病」の枠組を持っている。友人が35歳という若さで亡くなったことで「私」は抑鬱状態にあった。その大きな「病」の枠組みの中にクリスタ・Tの2回の鬱病と白血病という「病」が入れ子式に描かれる。フランクは臨床医学の観点から病の語りを「回復の語り」「混沌の語り」「探求の語り」の3つに分類している。「私」の語りは、「混沌の語り」と「探求の語り」の混合型であると見なせる。

「私」はクリスタ・Tの生を「書かなかった詩人」として描こうとした。そのためクリスタ・Tは社会主義社会に生きた女性の等身大の姿と詩人という二面性を持つことになった。その断片の集合体のような語りは「混沌の語り」といえる。語り直しながら、最終的に「死」を受け入れていく方向性は「探求の語り」である。本来「混沌の語り」は病者自身が「語れない」とされている。ヴォルフがどのようにそれを言語化したのかに着目して論じる。

報告1(ドイツ語教育)宮崎 裕子

IDT Wien 2022 参加報告

本発表は、2022年8月15-20日にウィーン大学およびオンラインで開催された第17回国際ドイツ語教員会議(IDT)の参加報告である。本会議はパンデミックの影響で一年延期され、スイスのフライブルクで行われた前回会議以来、5年ぶりの開催となった。実行委員会の集計によると、今会議の参加総数は世界110の国と地域から2747名にも上ったそうだ。このように長い開催歴を持つ大規模な専門会議ではあるが、ドイツ語教育関係者に普く知れ渡っているとは言えないのが現状である。報告者は、今会議でIDTから奨学金を受けて研究発表を行った234名のうちの一人として開催内容の紹介および報告を行うことで、より多くのドイツ語教育関係者がIDTについて知り、各自の研究、発表、交流の場として今後の開催に興味関心を抱けるよう努める。まず、会議の多彩なプログラム構成を概観し、次に報告者が参加したドイツ語圏言語文化の教授法理論および授業実践に関する研究発表・講演・文化行事の具体的内容を報告する。その際、「多言語・複言語」に視点を据え、今会議を貫く標語(Motto)„mit.sprache.teil.haben"がどのように反映されていたかを振り返る。最後に、閉会式で採択された言語政策提言(sprachpolitische Thesen)の意義を確認し、2025年7月28日-8月1日にリューベック/キールで開催される第18回会議への引き継ぎについて報告する。