『ラオコオン』批判に現れる詩的言語
–何故、ヘルダーは『批評の森』にて匿名を貫くのか–

発表者
山取 圭澄
日時:
2017年11月11日
場所:
慶應義塾大学日吉キャンパス

発表要旨:
『批評の森』(Kritische Wälder, 1767-1769)は、匿名での刊行が当時から非難にさらされた。しかし、公然の秘密であるにもかかわらず、ヘルダーはあくまで自身が著者であると明かしていない。本発表では、ヘルダーが匿名にこだわる点に注目し、『第一批評の森』での独自の『ラオコオン』受容を読み解く。 レッシングは『ラオコオン』を「自身の読書から生まれたもの」と呼び、「雑然とした書き抜き帳」と明言している。ヘルダーも自身の『ラオコオン』批判を「森の中の道」に喩え、論理的な明確さを求めていない。彼の批評は、いわば『ラオコオン』の模倣と言える。目に留まったものが書き並べられた小径を辿ることで、読者は自ずと著者の見解を再構築する。読者に主体的な読みが求められる背景には、「詩は絵画の如く」という言葉を巡る両者の見解がある。レッシングは、この言葉を「想像力へ働きかけることによる詩の生き生きとした描写」と理解した。『ラオコオン』自体を「詩」、つまり「創作的対話」と捉えたヘルダーは、その模倣においても、著者と読者の「協働」を狙った。『ラオコオン』批判が匿名で書かれるのは、レッシング・著者・読者の三者を相互主観的な関係に置くための方策ではないか。他者の言葉に触れ、自身の見解が自然に形成される対話の場として、『批評の森』は書かれたのである。後に『言語起源論』で詳述されるヘルダーの詩的言語観が、既に『ラオコオン』の模倣という形で先取りされることを明らかにしたい。