グリンメルスハウゼンの愚者概念 - ジンプリチシムス作品群の宗教要素と愚の連関

発表者
森下 勇矢
日時:
2018年11月24日
場所:
お茶の水女子大学

発表要旨:
セバスティアン・ブラントの『阿呆船(1494)』は「愚者文学」の嚆矢として広範な読者に親しまれ、この作品ジャンルの核となる愚者は舞台・諷刺作品にその活躍の場を見出す。このモティーフは『阿呆物語Der Abentheuerliche Simplicissimus Teutsch(1668)』の悪漢ジンプリチウスとして結実し、「この世の堕落を眼前に晒す(Welzig, 1963)」ための鏡として機能し、人々の倫理的堕落を辛辣に諷刺する。グリンメルスハウゼン研究の中で頻繁に扱われてきたこの論はしかし、「ポリフォニー(Verweyen, 1990)」と称される作品の多層性・複合性ゆえに、愚者概念の表面的な部分に関するテーゼの域を出ない。本発表は、諷刺要素に覆われ曖昧模糊とした愚者概念の本質を突き止め、包括的な調査を通して一面的な作品理解からの脱出を試みるものである。 グリンメルスハウゼンは『阿呆物語』の発表後、周辺作品の執筆を通して「ジンプリチシムス作品群Der Simplicianische Zyklus」を完成させており、作品間のつながりを考慮せずには個々の作品の十全な理解は不可能であると述べる。そのため周辺作品相互の結びつきを考慮に入れたアプローチが必要となるが、今回の分析では主に『放浪の女ペテン師クラーシェ(1669)』ならびに『風変わりなシュプリングインスフェルト(1670)』を取り上げる。両作品の主人公とジンプリチウスが有する愚者性の比較対照を通して、著者が抱く愚者像の明瞭化を図る。考察にあたって、回心を経たジンプリチウスが強い宗教性を湛えた筆致で描かれる一方で、クラーシェとシュプリングインスフェルトが一貫して頑なな罪人として描写される構図に着目し、背徳者としての愚の性質が敬虔さの有無によって変容する点に比重をおく。