現代言語学で空間表現を分析する際に依拠する言語理論の多くは、「客体化された世界」に当該の空間関係が言語的に再構築されることを前提しているように思われる。本報告ではまず、この言語的に再構築される世界の客体性は、空間関係を言語化ないしは認識する主体が、その際に自分自身を客体化するか否かと相関関係にあると考えられることを指摘する。ここで問題にする、話す主体の客体化―非客体化と、それぞれの場合にコンセプト上可能になる「言語的に再構築される世界」については、次のR. Langacker (1990)1の例を想定すると分かりやすい。
1. Anna sitzt mir am Tisch gegenüber.
2. Anna sitzt am Tisch gegenüber.
この二つの文が同じ空間関係を表している場合を考える。そうすると、例えば一人称代名詞の使用を手掛かりに、話す主体が客体化されていると考えてよさそうな(1)では当該の空間関係は、話者自身から客体化した世界に再構築されており、話す主体が客体化されていると考える積極的な言語的証拠の見られない(2)では、同じ空間関係を言語的に再構築する世界として、必ずしも話者自身から客体化した世界を前提する必要はなさそうだという相関関係をみることができる。今仮に、話者の自分自身の客体化の有無に応じて、話者自身から客体化する世界(1)としない世界(2)という二つの空間コンセプトを想定することができるとすると、この前提されている空間の差を考慮すると、空間移動の表現はどのように分析できるだろうか。日本語の「いく/くる」とドイツ語のgehen/kommenが同じ空間関係を指しつつも、Ich komme gleich!/「今行くよ。」のようにその適用が異なる場合の検討を通して、この「話者自身の(非)客体化」という視点が空間表現の記述・説明にどの程度有効か確認したい。
1R. Langacker (1990) Subjectification. In: Cognitive Linguistics I. 5-38. 例文は英語より翻訳。