認識主体と万物流転の世界―マッハの認識論によるムージル『愛の完成』読解の試み

発表者
五十嵐 遥也
日時:
2018年11月24日
場所:
お茶の水女子大学

発表要旨:

 本発表はローベルト・ムージル(1890-1942)の『愛の完成』(1911)における脱自的描写について、彼が博士論文(1908)で論じたエルンスト・マッハ(1838-1916)の知覚理論からの影響のもとにあると仮定し論じる。

 マッハはあらゆる知覚は関数的依属関係の節減的(ökonomisch)な把握であり、「自我」や「物体」という概念でさえ、色、音、熱、圧、空間、時間などの基礎的な要素を任意にまとめた「仮想的な単位」であるとし、科学に留まらず当時の文学、芸術、政治に大きな影響を及ぼした。しかしそれと同時にその理論の矛盾も当初から少なからず言われており、そのうち最も重大なものとして、自我はないにしてもそれ以前のいわば最小限の認識する主体のようなものは想定せざるをえないことが、ヘーニヒスヴァルトによる先駆的なマッハ批判(1903)によって既に指摘されている。つまり、マッハの認識論は「感覚要素一元論」と呼ばれるにも関わらず、実際は「万物が流転する」世界とそれを認識し整序する最小限の主体の二元論にならざるを得ないのである。それゆえ、さらに言うならば、ここでは他の認識主体は「どうしても念頭に迫ってくる根強いアナロジー」としてしか存在の根拠を持たないのだ。

 マッハからムージルへの影響を論じる際、先行研究ではこうした認識主体の問題について単なる矛盾として紹介するにとどまっていたが、『愛の完成』がまさしくこの矛盾を前提に全体の叙述がなされていることを明らかにするのが本発表の目的である。